地下鉄名城公園駅付近に行く機会があり、折角来たのだから周辺の五社を歩いて参拝する事にした。
グーグル先生の導きによれば以外に駅から近かった、地下鉄2番出口から目的地「天王神社」まで宜しくね。
出発してすぐに先生は方位を見失っているようだ、自分の現在地が分からないのか目的地は近いのに自分の現在地と目的地が離れていく、なのに語り掛けるお姉さんの声は堀川に向かえと指示している。
「20㍍先左です」・・・本当?右じゃねぇ、もう地図で見るよ、再起動。
再起動後覚醒した先生は目的地に向け正しく導き出す。
地図上で5分もあれば着くものが倍の時間を費やした、しかし覚醒した彼女のお陰で「天王神社」見付けることが出来た。
上が天王神社の社頭です。
社頭の前を幾度か行ったり来たり。
ポケットの中の彼女は「目的地に着きました」と何度も教えてくれるが鳥居も社号標もなくスルーしていたが、左の城北南集会所の右手の赤い切妻屋根に目が止まり始めてそこが「天王神社」だと悟った。
彼女はしっかり導いてくれていた。
怪しいおやじがこの前を何度も行き来する姿、傍目には怪しい目で捉えられていたのではないかナ。
天王神社は愛知学院大学名城公園キャンパスの一本東の通りで、市営住宅に囲まれた一画に鎮座していました。鳥居も社号標もないのでこの時期の目印は左右に咲く赤い山茶花が目印、右手は公園のようです。
このあたりはさっぱり来たことがなく、知っている事と云えば高層の住宅が建っている事だけは知ってはいたが以前の状況は分からない。
右が1945~50年頃の航空写真、鎮座地の北は住宅が建っているが、このあたりは整備の進む状況に見える。
左下は1961~64年頃の航空写真ではここにも多くの住宅が集まっている。
この地に人が集まり出したのは1950~60年頃なのかもしれない。
因みに市営城北荘住宅が建ち始めたのがこの時期、神社北側の市営住宅一階にある名城保育園が1969年とあった。推測になるけれど恐らくは昭和のこの時期に祀られたのが天王神社かもしれない。
社頭南側からの眺め。
鳥居や社号標、狛犬など神社の存在が分かるものはない。
今こうして写真を見た時、石段左右に建つポールは神社幟のポールだったのかもしれない。
南北に長い境内の一番奥に切妻妻入りの覆屋が建つ。
境内に由緒書きは見当たらず詳細は分からないが、左脇の賽銭箱の寄贈は昭和中頃のものだった。
覆屋の中に納まる銅板葺の流造で、木鼻に彫も施され高欄の擬宝珠や脇障子の付いた立派なものだ。
残念ながら社名札はなく、お札も確認できないので天王神社の実感はない。
社は傷みもなく綺麗に保たれているようです。
覆屋の板塀は一部が外れ傷みが見られ、あまり人の気配を感じない。
一帯は集合住宅が集まっている割に人の気配をあまり感じない気がする、計画的な解体建替工事が進められていることもあるのかもしれない。
どことなく寂しい佇まいの天王神社。
それを払拭するかのように咲く山茶花の色合いが印象に残る。
2022/02/12
天王神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / 名古屋市北区名城3丁目3-57
地下鉄名城公園駅から徒歩ルート / 東へ徒歩5分程
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