前回掲載した社名不明社(熱田神社)と無縁地蔵菩薩から東に向かい、江川線を越え国道1号線方向に進む事15分弱。
白鳥西公園の南にある熱田社が今回の目的地です。
公園と境内を区切るものはなく、公園で遊ぶ子供たちにとって熱田社の境内は遊び場の一部になっているようです。
熱田社社頭。
国道1号線に架かる2番歩道橋の少し東側の国道に面し社頭を構えています。
社頭の左側には「熱田社」の社標と常夜灯があり、参道を進んで少し先に神明鳥居があります。
その先には社殿が鎮座しています。
参道左の手水舎。
控え柱が付いた安定感のあるものですが、手水鉢に龍の姿は見られなかった。
上は大正9年(1920)の白鳥橋周辺、熱田社は赤で示した位置になります。
堀川から西にかけて広がる旧熱田新田は堀川寄りから東組、更に西は西組としてして二つの組があり、割と呼ばれる33の区画に分けられていました。
各区画は番号で識別され「〇番割」として称され、堀川寄りの東組から西に向け附番されていました。
現在でも一部に6番町や10番町などの町名が当時の名残を残しています。
熱田社の鎮座する辺りは二・三番割に位置し、大正当時の地図にも鳥居の印が見られます。
境内に由緒書きが見当たらず創建等の詳細は定かではなく、「明治初年の勧請、祭神は日本武尊、昭和4年社殿が改修」というのがWebで見られる内容でした。
少し調べてみると、尾張徇行記に以下のような記録があることが分かりました。
この地史は、樋口好古により1792年から1822年にかけて尾張藩の尾張国や尾張藩領などを視察した際に、村の沿革や隣村との境界、人口、租税額、寺社の除税地、河川、水路、橋梁などを記したもので、Web上でも閲覧することができます。
それによると熱田社の起源は慶安3年(1650)の三十番神から始まったようです。
熱田新田の開発が正保4年(1647)に始まり、慶安4年(1651)に完成したとされており、新田開発に当初に三十番神が創建されたと考えられます。
また、尾張徇行記編纂当時には、熱田社の境内には天王社や神明社なども祀られていたようです。
三十番神とは陰暦の1日から30日までの毎日を交替し、法華経を守る神を三十番神といい、その神々を祀った社だといわれています。
市内では千種区の茶屋ヶ坂交差点に祀られています、関連記事にリンクを貼っておきます。
熱田社境内全景を見ると、左側に拝殿、本殿があり、その右側と左側には境内社が祀られていることが分かります。
また、公園から見えていた巨木は御神木のクロガネモチで、保存樹に指定されているそうです。
樹齢は定かではないですが、幹の太さや枝振りのいい姿は存在感があり、町のランドマーク的な存在だろう。
入母屋瓦葺の妻入りで四方吹き抜けもの。
鬼や軒丸瓦に五三の桐紋が入る。
拝殿から本殿方向の眺め、本殿前は一対の狛犬が守護しています。
狛犬のウエーブのかかった毛並みは、とても優雅な印象を受けます。
本殿は神明造で6本の鰹木に内削ぎの千木が付き、よく言われる女神をお祀りする事になります。
……日本武尊が祭神。
鳥居(1988年)から境内の眺め。
岩を組んだ基壇の上に板宮造りの小さな社が建てられ、右手の岩には由緒が刻まれています。
詳細は良く読み取れなかったが、日本武尊の蝦夷征伐、熱田皇大神宮の文字が見え、不可思議な事象が起りそれを鎮めるために祀られたような文脈が見えます。
そういえば熱田神宮には龍神社があり、そちらと結び付きがあるのかもしれません。
…ん?、これは布袋さん大黒さん、この境内に他にも安置されているのかも。
拝殿右から境内社の眺め。
左の天王社と右の秋葉社。
尾張徇行記に記されている天王社はこの事を指しているのかも知れません。
記載されていた神明社の行方がどうなったのか、熱田社本殿の千木と鰹木の数が気になってくる。
右の秋葉社の情報には出逢えなかった。
境内東から境内社、本殿の眺め。
境内から南側の拝殿、社頭の眺め。
クロガネモチの聳える静かな境内を後に、多くの車両が往来する国道1号線に出て、次の目的地である白鳥橋方向に向かいます。
熱田社
創建 / 不明
祭神 / 不明(日本武尊とされる)
境内社 / 日本龍神、天王社、秋葉社
所在地 / 名古屋市熱田区二番1-11-16
参拝日 / 2023/02/12
無縁地蔵菩薩から徒歩ルート / 江川線を越え国道1号線方向に進む事15分弱。
関連記事 / 社名不明社(名古屋市熱田区西野町)