国平神社

春日井市玉野台1「国平神社」

玉宮稲荷神社の社頭から西に進むと三叉路が見えてきます。
その手前の右側に山に続く細い小径が作られています、そこが国平神社の入口にあたります。

少しわかりわかりづらいかもしれませんが、ここが国平神社の入口。
この小径を進み、鬱蒼とした森の中に続く参道を上り切った先に国平神社は鎮座します。

赤のマーカー部分が国平神社の鎮座地となり、玉宮稲荷神社から徒歩移動で1~2分程の位置になります。

森に入る前に防虫スプレーを一噴きしてから入る事をお勧めします。

森に入るとその先は写真の様に手摺も用意されており、入口の趣とは別の表情を見せます。

やがて参道の先に石の祠と右奥に国平神社の覆屋が見えてきます。

岩を積み重ねて作られた祠。
見ようによっては横穴式古墳の様にも見えてくる、入口に賽銭箱が置かれ、その奥に石像の姿が見えます。

祠の内部には二体の石像が安置されており、五鈷杵を持つ弘法大師の像が安置されています。
この石の祠そのものが弘法堂のようです。
以前はこの山中に弘法堂の他に二十二夜社が祀られていましたが、先に掲載した五社神社に時期は不明ですが遷座されたそうです。
他にもこの山中に御嶽神社も祀られていたようですが現在その姿は見られません。

国平神社覆屋全景。
切妻瓦葺の覆屋の中には二つの社が祀られていました。
地元玉野町の神社紹介によれば、この二社は国平神社と琴毘羅神社が祀られているとの事です。
神社の創建時期等詳細は不明ですが、国平神社は藤箕(ふじみ)の神様で、地元には以下のような話が伝わっています。
室町時代清洲の国平という落ち武者が玉野に住み着き、付近の山の藤づると竹で箕を作り、それを売って暮らしていました。
やがて、それを真似て作る村人が多くなり、江戸時代には玉野村の農閑期の副業として盛んになりました。
尾張藩はこれを特産品として保護し他の藩には作らせなかったので、藤箕は玉野村の特産物になりました。
国平神社は村人達が藤箕の神様を祀ったものといわれています。」

つまり国平神社はこの地に落ちのびた国平という落ち武者がこの地に広めた藤箕の神が祀られ、落ち武者の姓から社名が付けられているようです。
素材となる藤は初夏の玉野川沿いなど散策していると、紫の花がそこかしこで見られるので、藤箕の素材には困らなかっただろう。

覆屋内の板宮造りの二社。
社名札がなくどちらが国平神社で琴毘羅神社なのか定かではない。
この神社の創建時期は藤箕が玉野村の特産物となり生活の糧となるようになった江戸時代の事だろうか。
後醍醐なか刀自媛大神の言い伝えも残る様に、時代は違うものの、この地は落ちのびる者には絶好?の道筋だったのかもしれない。

国平神社
創建 / 不明
祭神 / 不明(藤箕の神様)
琴毘羅神社
創建 / 不明
祭神 / 大物主神
所在地 / 春日井市玉野台1
参拝日 / 2023/07/14
玉宮稲荷大明神から徒歩で国平神社 / ​西へ徒歩1~2分
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