22年乗った愛車デリカ。 どんなところへも届けてくれた頼もしい車ですが、エアコン冷媒漏れの致命的な問題や、旧車に加算される税金などもあり、小柄な普通車に乗り換えるため手放すことになりました。
下取りに出す日も迫り、大食いの燃料タンクには普通車なら満タンにできるほどのガソリンがある。
2月4日。
最後のドライブに静岡県の掛川を訪れました、大きな目的は「さわやかのハンバーグ」を食べ、「掛川城」と「法多山尊永寺」の「厄除け団子」を食べる、である。
高速を使用し名古屋・掛川往復は約300km、残量からみると渋滞さえなければ確実に戻ってこれる距離。
ハンドルを握りながら、豪雪の山道走行や家族や愛犬との旅行やキャンプ、そのすべてがこの車とともにあり、数々の思い出が蘇ります。
11:30掛川城に到着。
城主となった一豊の城郭修築は、後の高知城築城の際に掛川城を模して作られたとも伝えられています。
嘉永7年、安政の大地震で損壊、その後掛川城は廃城令によって廃城処分とされ、一部を残して撤去されました。
現在の城は平成6年(1994)に日本初の「本格木造天守閣」として復元されたもの。
現在の御殿は文久元年(1861)に再建されたもので、現存する城郭御殿は二条城など全国4ヵ所しか残っていない。
内部は有料公開されています。
平日ながら大陸の言語が飛び交っていた。
掛川城・二の丸御殿
所在地 / 静岡県掛川市掛川1138番地の33
ここから徒歩で逆川を渡り、5分ほど先の大手門に向かいます。
三光稲荷大明神。
大手門裏側の逆川左岸沿いに鎮座し、後方の建物は大手町屋台小屋になります。
丁度この時期に豊臣秀吉の命で伏見桃山城の築城に加わった縁で大手郭と大手厩の鎮守として伏見稲荷を勧請された。
伏見大社の本殿の脇には御製の碑が、吉野山金峯山には 「導稲荷」があり、東京新宿三光町の花園神社(三光稲荷)は吉野より勧請されたといわれ、こうした御利益から大手厩の構内にお祀りされました。”
大手門から天守の眺め。
現在の門は平成7年(1995)に復元されたもので、間口7間、奥行3間の楼門造りの櫓門。
三光稲荷大明神・掛川城 大手門
所在地 / 静岡県掛川市城下27
次は南西に500㍍ほど先の東海道沿いに店を構える桂花園に向かいます。
丁葛製造本舗 桂花園。
創業120年の葛湯の老舗でかみさんの目的地のひとつ。
店内では葛湯が提供され、寒い日には体をほんのり温めてくれます。
飲むイメージのある葛湯、こちらではバラエティーに富んだ食べる葛湯も販売しており、これが実に優しい味でした。
桂花園
所在地 / 静岡県掛川市仁藤町10-1
さて次は掛川城公園駐車場に戻り、車でお昼ご飯を食べに行きます。
昨年ふもとっぱらキャンプ場に行った帰り道、静岡で寄る予定でいた「さわやかのげんこつハンバーグ」を食べに行きます。
駐車場からさわやか 掛川本店までは県道415号線を西に向かって10分ほどでした。
あの時はかみさんが楽しみにしていたが、帰りの時間が日没間際と重なるため、太陽を追いかけて走るのを避けるため寄らなかった。
今回のドライブのメインテーマと言ってもいいだろう。
静岡では有名店で待ち時間が当たり前のお店。
アツアツで提供され、中はレアな状態で、これにデミグラスソースかオニオンソースを店員さんが目の前でかけてくれますが、自分でかけると云えば素の味を楽しむことができます。
写真は素のまま、私は最後まで塩・コショーで頂きましたが、肉肉しくてしっかりしたものでした。
冷めてくると店員さんが過熱に訪れるので、最後まで冷める事はなかった。
ナイフを入れると肉汁タップリでレアな状態、肉の鮮度に自身があるのだろう。
待ちの列ができるのも頷ける。
個人的に某ハンバーグレストランよりは美味しいかもしれない。
さわやか 掛川本店
所在地 / 静岡県掛川市大池3001−1
お腹も満たされ、最後の訪問地法多山尊永寺までは南に20分ほどのドライブ。
県道251号線沿いの駐車場に車を入れ、そこから5分ほど歩くと仁王門が現れます。
重要文化財仁王門の山号額「法多山」
寛永17年(1640)再建の棟札が残る、入母屋杮葺きの楼門。
個性的な仁王像。
胴と足の長さに違和感が感じるのは、仁王門再建に伴い他の寺院から寄贈されたともいわれ、それによりこの間に収めるために像高が詰められているともされる。
法多山尊永寺境内マップ。
広大な境内を持つ尊永寺、左下の仁王門から、上の本堂までは杉並木の参道を15分ほどかかります。
最後の石段を登り境内に立つと、右の手水舎には花手水が迎えてくれます。
正面が本堂で右手に諸尊堂・北谷寺、左に太子堂などの伽藍が広がります。
本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。
神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ
その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長7年(1602)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えました。
明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。”
写真は本堂の寺号額と厄除の額、その下には金色の葵と桐紋が輝いています。
参拝のあと、下山道から境内を後にする。
写真は途中の二葉神社。
以下は由緒より。
祭神 二葉明神
瀟酒な社は大正年間の建立で、娼妓、芸妓、カフェーの女給といった往時の浜松の夜を華やかに彩った女性たちが一銭、二銭と、浄財を出し合い、郭内安全と自身の商売繁盛や恋愛成就などを願い造営されたともの。
認め境内に結んで願掛けをするのが流行っていたそうです。
水宮神社付近の花手水。
水宮神社全景。
氷を貯蔵する氷室が神格化したもので、氷の神様氷室明神を祀ります。
“洞窟そのものが社殿であり神様である。
往古は熱病平癒の御利益で信仰されていたと「遠江風土記伝」に記されている。
現在は暑気払いや流行病の予防・平癒祈願の他、現代社会の心の熱を鎮静させる冷却の神様として崇敬されている。”
蛸薬師堂の左には不動明王像、世知辛い荒んだ世情や物価上昇の根本要因を真紅の火炎光背で焼き尽くしてくれないだろうか。
これも今回の目的のひとつ、値上げの嵐はここにも吹き寄せています、世知辛い世の中になったものです。
法多山尊永寺
宗派 / 高野山真言宗
開山 / 神亀2年(725)
開基 / 行基(伝)
本尊 / 正観世音菩薩
所在地 / 静岡県袋井市豊沢2777
さて今回の予定はここまで、あとはのんびり高速で帰る事にします。
王子神社。
有料駐車場脇に社頭を見かけ、かみさんが帰途のルートを打ち込んでいる間に立ち寄ってみた。
三方を杜に囲まれ佇む社殿。
拝殿脇の社記によれば。
祭神は伊弉邪岐命、須佐之男命を祀り、創立年代などは不詳ですが延享2年(1745)、文政5年(1822)の棟札が残るようです。
例祭は10月14・15日のようです。
所在地 / 静岡県袋井市豊沢2679
袋井インターに向かう道すがら、地元スーパーに寄り、地の食材と酒を買い求めてきました。
掛川市横須賀で文政年間(1818~1830)創業の遠州山中酒造株式会社の「山中」
名古屋にも流通しているかもしれませんが、初めての銘柄なので買ってみました。
香りが強く、個性のある味わいで所謂The日本酒の印象。
かみさんには合わないお酒だった。
総走行距離約300㌔、消費燃料・・・メーターがいい加減なので不明。
燃料の不安を常に感じる車でしたが、どんな道でも安心して走ってくれたが、これも最後です。
訪問日 / 2024/02/04
ドライブルート