下街道(県道508号線)の南、かんね公園の西側に隣接する神社。
神社周辺は閑静な住宅街で公園区画の一部が境内で周囲を玉垣で囲われている。
境内は写真の様に大きな杜で覆われ、宅地化された環境の中で貴重な緑が残っています。
社頭は交差点の角に鳥居が建ち、参道は北に向かって真っすぐ拝殿に続きます。
鳥居から拝殿の眺め。
鳥居右に由緒が彫られた碑が建っています。
由緒
神明社 鎮座地 春日井市篠木町7丁目1-22
御祭神 天照大神
境内社 大宰府天満宮(菅原道真)、金毘羅宮(大物主命)、尾張大国霊神社 (尾張大国霊神)、津島神社 (須佐之男命)
沿革
創建は不明、昔からここには小さな祠があった。伊勢山と呼ばれ伊勢参宮の時、村の代表をここで見送り、帰ってきた時はこの地で人馬を出迎え酒食を出し「伊勢へ参ったかヨーイヨイ」と歌い労をねぎらったという。
昭和54年再建され、現在の神明社になった。境内に元文三年(1738)、天保8年(1837)の燈籠があり、300年以上昔から鎮座していると思われます。大自然の恵みや、先祖に感謝しながら家内安全、商売繁盛、事業繁栄、良縁成就、小授け、安産、交通安全などを祈願しましょう」
ここまで書かれていれば初めて訪れた者にはとてもありがたい。
明治のこの辺りは左の様に西に下街道(緑の線)とその沿線や田園に集落が点在、其々に集落の神社が祀られています。
篠木町の神明社は集落の外れに鎮座し、「村の代表の見送り、出迎え・・・・・」のイメージが湧いてきます。
伊勢へは恐らく下街道から向かっていったはず、村の外れで代表を見送り、出迎えたとすると由緒にある村とはどこなんだろう?
鳥居から境内へ、左手にも石碑があるようです。
総社尾張大国霊神社(国府宮)裸祭りに鏡餅を奉納する奉賛会の記念碑のようです。
正面が燈籠、拝殿、左に手水舎があり、拝殿左奥にも覆い屋が見えます。
手水鉢の龍、今日はお休みの様ですが、鉢の清水は澄んでいました。
拝殿
四方吹き抜けの切妻瓦葺で彫飾りなどは抑えられシンプルな外観、正面に本殿が良く見通せます。
・・・・・拝殿内の天井に何か描かれているようです。
天井の中央に雲竜図が描かれています。
拝殿からは本殿を守護する狛犬と6本の鰹木と内削ぎの千木が施された神明造りの本殿が見通せます。
ここで雲竜図に出会えるとは予想外、京都に行かなくても済んでしまう?
作者やいつ頃描かれたものか詳細は不明。
本殿域と境内社の全景
丸い石で二段に積まれた石垣の上に社が祀られ、肉付きの良いフォルムの狛犬が本殿を守護しています。
左に瓦葺の覆い屋がふたつ。
本殿全景
創建は不明ですが、祭神は由緒に記されていたように天照大神で間違いないと思われます。
本殿左の二つの覆い屋
右の妻入りの覆い屋には津島社
左の平入の覆屋に三社
右から金比羅宮、大宰府天満宮、尾張大国霊神社と並び祀られていますが、これらがいつ頃勧請されたものかはわかりません。
道真公を祀る大宰府天満宮という事で牛か梅など見られるのかと思いきや、意外にそれを印象付けるものはありません。
一通り由緒に記された神社の参拝を終え後にしようと思いましたが、その前にもう一度雲竜図をよく見ておこう。
拝殿の上に上がらせて頂き、真下から一枚写真に収める。
新しいとか、古いとかは大きな問題ではない、心を込めて描かれたものには人を魅了するものがある。
絵心のない自分から見て、こうして形にできる技術は尊敬に値する。
篠木町の神明社の見所はこの雲竜図といってもいいだろう。
神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照大神
境内社 / 大宰府天満宮 (菅原道真)、金比羅宮 (大国主命)、尾張大国霊神社 (尾張大国霊神)、津島神社 (須佐之男命)
住所 / 春日井市篠木町7-1-22
参拝駐車場 / 鳥居の右方向にありますが常時開放されているものではないようです。
公共交通機関アクセス / JR中央線春日井駅下車北へ徒歩30分
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