『八社神社』西春日井郡豊山町

中之町津島社から徒歩で10分程西の豊場木戸。
周囲は住宅が立ち並ぶ、その街並みの中に南と北に二つの杜が見える。
南側の杜が今回の目的地「八社神社」でそのすぐ北に寄り添うように萬松山常安寺の杜がある。

 

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上は1891年頃の豊場村、現在の豊山町の地図、右はほぼ現在の豊山町
青のマーカーが前回訪れた津島社で黄色のマーカーが「八社神社」
当時の地図に既に「八社神社」の鳥居は描かれています。
田畑が広がっていた周囲の様相の移り変わりは一目瞭然。

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「八社神社」社頭
住宅地の中でこの杜は一際存在感がある。
存在感があるのは鳥居も同様、ご覧のように三叉路の南側に石の神明鳥居が建っている。
以前は南に参道が伸び、やがて鳥居の先に道路が整備されこの姿になったのかもしれない。
鳥居から南の道路は一直線に県道62号線豊山交番前の交差点まで伸びている。

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鳥居と社地を分断するかのように公道が横切り、その先に南北に長い境内が広がる。
右に八所神社の社号標と常夜灯、その先の神門、蕃塀、社殿と続く。

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八所神社由緒
「祭神 宇麻志麻治命 祭儀 例祭 10月10日 厄除神事 旧暦2月1日 輪くぐり祭 旧暦6月30日夜
由緒
古書 延喜神名式(約千年前)に尾張春日部郡(豊場郷)に物部神社ありと記されている。
この地域は凡そ千五百年前より物部氏一族に依り開拓されたので物部氏氏神、大和の布留の里(奈良県天理市布留町)にある石上神宮より分神を勧請しここに斎き祀った。
社名は物部神社(八所太明神)と呼ばれていたが、明治初年八所神社と定まった。
沿革
祠宮 松浦家古文書に十八代孫助元徳の時織田信長より社領として田地八町歩の寄進を受ける。
十九代惣七郎守範の時、豊臣秀吉同地を没収する。
二十代孫右衛門勝信の頃、徳川忠吉が信長の朱印入り神領文を見て改めて二十石を付ける。
二十五代勝大夫守安の時、尾張三代藩主徳川綱誠の側室梅津の方、この宮に男児出生を祈願、心願成就の参詣に太刀一振と葵紋章大挑燈一対を奉献とあり、現在当社の社宝となっている」
初めて参拝させてもらう者から見るととてもありがたい内容だ。

物部神社というと名古屋市東区に鎮座する物部神社がある。
往古尾張各地に鎮座した物部神社も合祀され、本社にあたる東区の物部神社だけのようだ。
物部神社の名を留めた最後の神社は明治初年に名を消した。

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上は尾張名所図会の挿絵
色付けした部分が現在の八社神社。
参道の左の鳥居から参道が続き、神門前で左右に別れ常安寺に続いている。
御神木の杉の古木は朽ち果てたと記され、挿絵の神門は現在ないようです。
境内の末社や伽藍は当時のまま。

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境内
蕃塀も拝殿も挿絵のまま。

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境内左に手水舎、手水鉢。
龍の姿はなく、甲羅の上に子亀を乗せた大きな亀と鶴が代わりを務めている。
「鶴は千年 亀は万年」縁起がいい。

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石の蕃塀は左右に獅子、中央に虎、指定席には二匹の龍。
杉を含む杜が社殿を囲っているが、空を覆うものではなく適度に風が抜け、陽光の届く明るい境内。
社殿の左右に境内社が祀られているのも挿絵のまま。

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拝殿から社殿の眺め。

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妻入り瓦葺の拝殿。
鬼瓦に八所神社、軒丸瓦に八が入る。
この拝殿は妻壁から全周にかけて施された彫に見応えある。

f:id:owari-nagoya55:20220214205912j:plain拝殿前の狛犬
どちらも毬を持つ、年齢は聞き忘れてしまった。

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拝殿額は「八所神社」
妻壁中央に一匹の龍、左右に卯、寅が彫られている。

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東の平側に子、丑、辰、巳、午・・・十二支が描かれている。
ひと回りすると作り手の思いが伝わってくる。

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拝殿内の梁に前と後ろに八社神社の額が掲げられている。

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本殿右の境内社
瓦葺の建物は社を祀る覆屋のようだ。

f:id:owari-nagoya55:20220214210045j:plain覆屋内は左から秋葉社、熊野社、天道社、八幡社、諏訪社の五社相殿。

f:id:owari-nagoya55:20220214210104j:plain左は御嶽神社

f:id:owari-nagoya55:20220214210124j:plain一段高く盛られた本殿域。
拝殿の先に祭文殿、そこから透塀が本殿域を囲み、祭文殿と本殿は渡廊で繋がる尾張造りの伽藍。
手前に石燈籠が連なりとその先で狛犬が守護する。

f:id:owari-nagoya55:20220214210142j:plain大きな巻き髪の狛犬は年齢不詳、吽形は何か持っているようですが毬ではないようです。

f:id:owari-nagoya55:20220214210201j:plain御嶽神社側から見る社殿。
本殿は銅板葺の流造、本殿、拝殿ともに彫飾りは意外に少ないように感じます。
一部に劣化や破損が見られ、津島社同様に建物が補修の手を求めているようだ。

f:id:owari-nagoya55:20220214210222j:plain本殿左の眺め。
複数の境内社と奥に石標が建っている。

f:id:owari-nagoya55:20220214210242j:plain板宮造りの境内社
手前から相殿の富士社(木花開哉姫命)・白山社(菊理姫命)、多度社(一目連命)、稲荷社(倉稲魂命)、相殿の御田社(御食津神)・愛宕社(火具都知神)、相殿の須佐之男社(須佐之男命)・八幡社(誉田別命)、相殿の源大夫社(乎止与命)・神明社(天照皇大神)。
挿絵の配置と同じですが、境内に分散した社を綺麗に纏められたようです。

f:id:owari-nagoya55:20220214210305j:plain奥の石標。
手前の二つはよく分からないが奥の石標には「天照皇大神宮」と彫られていた、伊勢神宮のことだ。

f:id:owari-nagoya55:20220214210323j:plain祭文殿を西側からの眺める。
物部氏と所縁のある八社神社、僅かな賽銭では追いつかない程老朽化がそこかしこに見られる。

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境内で見かけた町指定文化財の解説。
「作風は室町時代の特徴を示す。
狛犬の名称は、その異形の姿が日本では異国の犬、すなわち高麗(こま)の犬と考えられたことに由来する。木造。阿吽の一対。高さ約40㌢。八所神社の社宝。豊山町教育委員会
元は金色に彩色されていたように見えます。
どちらも縦に割れ目が入り、にやけ顔の阿形に対し、やや俯いて下を見つめる吽形の姿が妙に物寂しく見える。

かみさんの買い物も終わる頃(とうに終わっていた)、角が出てくる前にさっさと戻る事にしよう。
2022/01/20

豊山町豊場木戸 『八社神社』
創建 / 不明
祭神 / 宇麻志麻治命
境内社 / 秋葉社、熊野社、天道社、八幡社、諏訪社、御嶽神社、富士社、白山社、多度社、稲荷社、御田社、愛宕社、須佐之男社、八幡社、源大夫社、神明社、天照皇大神
祭礼 / 例祭10月10日、厄除神事旧暦2月1日、輪くぐり祭旧暦6月30日夜
所在地 / ​西春日井郡豊山町豊場木戸71-1
徒歩ルート / ​豊場津島社から西へ10分
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