前回の小牧市舟津の秋葉神社から、今回は同じ舟津に鎮座する八劔社を掲載します。
鎮座地は小牧市舟津1338で、秋葉神社からだと東に進み、境川を越えて300㍍ほど先にニノ鳥居を構えています。

八劔社参道口全景。
二ノ鳥から参道を150㍍ほど南に向かった先になり、ここから南にも道が続きますが、その先には巾下川が迫っており、社号標や常夜灯も見られないので、参道口で間違いないでしょう。
参道の少し先に注連柱と「八劔社」社標、神明鳥居を構えています。
小さく見えているのがニノ鳥居です。

参道口の西側に赤い社が祀られています。
社名札はなく、詳細は不明ですが、外観から秋葉神社か天王社と思われます。

ニノ鳥居と境内全景。
宅地化が進んだ舟津地区にあって八劔社の杜は貴重な存在かも知れません。
写真の明神鳥居(1994)の左に手水舎・社務所、少し右寄りに蕃塀・拝殿などの社殿が主な建物になります。

鳥居扁額は「八幡宮」

社殿全景。
このあたりでは典型的ともいえる蕃塀を構えた社殿配置です。

蕃塀の額束には読み取りにくいが八劔社と彫られています。

拝殿全景。
入母屋銅葺屋根の妻入りで四方吹き向けの拝殿。
鬼板や大棟に施された黄金色に輝く神紋は見慣れないものです。
八劔社の由緒を語る案内板は見当たらず調べることになります。
尾張徇行記(1822)の八劔社記述は以下のようなものでした。
「一 前条社 三ヶ所村中 中村祠官 木全藤太夫 書上二
八劔社内 一段一畝六歩、此社内ニ弁天社アリ・・・此三社、永仁二午年(1294)勧請ナリ
○府志曰、八幡祠在船津村 永仁甲午年建之
○摂社弁天祠○府志二 八劔ヲ以テ八幡二作ル誤ナラン」
とありました。
これによれば永仁2年(1294)建之の八劔社の摂社弁天社も同年に勧請された神社であり、「府志」の中で「八劔」を「八幡」とするのは誤記であろうとしています。
今昔マップの明治24年(1891)当時の舟津集落に鳥居の印は八劔神社神社以外にはみあたりません。
小牧市史本文篇の神社一覧では「八劔神社 舟津 創建永仁2年」と書かれていました。
祭神については記述されていないが、愛知県神社庁では日本武尊となっています。
境内には改築記念碑が立てられており、氏子らにより長年にわたり受け継がれてきた神社です。
寄進物の寄進年は社頭の社号標や二つの鳥居、注連柱など大正時代に寄進されたものが多い様でした。
境内は手水舎・蕃塀・拝殿・祭文殿・本殿が主な建物で、本殿左に境内社津島社、右手に伏見稲荷、弁天社が祀られています。


拝殿額は「八劔社」。
揮毫は熱田神宮宮司の野田菅麻呂(1858-1945)によるもの。

拝殿から高く築かれた基壇の上の祭文殿の眺め。
拝殿の先には常夜灯と一対の狛犬が安置されています。

拝殿左から祭文殿と境内社の眺め。
切妻平入の祭文殿の棟には鰹木と外削ぎの千木が施されています、右の間に切株が飾られているようです。

祭文殿前の狛犬。
これまで見てきた寄進物より古い物のように見受けられますが台座は見ることができなかった。

「蘇る神木」
村の安泰と神社を見守り続けてきた御神木で、伊勢湾台風(1954)で倒れたものを一部を安置したようです。

本殿左の境内社二社の役行者像。
燈籠の竿には津嶋神社とあり、推測ですが赤い社がそれなのかもしれません。
右の社は詳細不明です。

このあたりから八劔社の本殿の眺め。
恐らく神明造の本殿で祭文殿とは渡廊で繋がっている様に見えます。



境内の東外れの社。
小さな池の中ほどに祀られた流造の社は、尾張徇行記に書かれている永仁2年(1294)勧請の弁天社と思われます。
ここから右は生活道路が走っており、道路際からも社が見渡せます。

車道から舟津八劔社の社叢全景。
田畑から宅地・物流倉庫が建つ地域に変貌し、現在の舟津にあって貴重な杜が残されています。
祭神 / 日本武尊
創建 / 永仁2年(1294)
境内社 / 伏見稲荷・弁天社・津島神社・不明社
氏子域 / 舟津
祭礼 / 10月第二日曜日
所在地 / 小牧市舟津1338
秋葉神社から八劔神社社頭 / 東に向かい境川を越え、100㍍ほど先の交差点を南下。徒歩10分前後
参拝日 / 2025/6/9
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