大分県豊後高田市田染上野「三宮八幡社」
富貴寺から県道655号線と県道34号線を経由して南へ10分程の桂川右岸に鎮座し、一帯は田染の里「三の宮の景」として知られており、川岸に奇岩が続く景勝地となっています。
鎮座地傍らの観光案内図。
国東半島の根元にあたる当地は国東半島の六郷、田染・武蔵・伊美・国東・安岐・来縄の6つの郷があり山間には多くの寺院が建てられました。
鎮座地周辺は田染(たしぶ)郷と呼ばれ、三宮八幡社は田染郷の東外れに位置します。
桂川沿いに続く県道沿いの「三の宮景勝地」の看板と大きな「P」の看板が三宮八幡社の目印になるでしょう。
車はこの駐車場に停め、そこから神社社頭までは県道を上流に向け歩いて直ぐ。
桂川の対岸には奇峰が連なり、四季折々に美しい光景が見られる写真スポット。
県道沿いに社頭を構える八幡社。
石の明神鳥居の額には「八幡宮」とあり、鳥居は明治35年(1902)に寄進されたもの。
境内は正面に社殿と左の社務所が主な伽藍となります。
八幡宮は宇佐神宮の荘園「田染荘」として成立した際、田染郷の鎮守として宇佐神宮から勧請された田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命の三柱を祀る本宮八幡社から始まり。
観応2年(1351)神主に神託があり、湍津姫命を田染間戸に遷座し「二宮」、市杵嶋姫命を田染稲積に遷座し「三宮」として「田染三社」と総称するようになったと云う。
当八幡宮はその三宮にあたり、田染三宮八幡社と呼ばれているようです。
田染三社には前述した祭神の他、譽田別命、息長足姫命、足仲彦尊、大鷦鷯尊や応神天皇の妃、皇子・皇女らも祀られるようです。
以後は田染三宮八幡社として記載させてもらいます。
弘化5年(1848)の刻みが残る常夜灯。
社殿全景。
拝殿の前には大きな球を持つ狛犬の姿と本殿右側に複数の石祠がある。
拝殿前の狛犬。
大きなものではないですが、鋭い犬歯と直線的に描かれた鬣を持ち、強烈な目力を持つた勇ましい姿の狛犬だと思う。
目を剥いた彫の深い形相、あまりの個性的な表情に寄進年を見忘れました。
拝殿。
入母屋瓦葺の平入拝殿で後方に入母屋の幣殿が連なり、その先に本殿が建っています。
外観、内観ともに目立った傷みはなく、比較的最近補修の手が入ったようです。
拝殿左から見る社殿。
銅板葺の三間社流造の本殿、金色の飾り金具など見当たらずシックな佇まいのもの。
大棟に千木はなく、4本の鰹木が付き、棟に三つ巴の紋が入る。
本殿右の山肌に複数の石塔と桜の紋が入った石祠が見られる。
境内から社頭の眺め。
狛犬が見つめる先は田染耶馬と呼ばれる奇岩、奇峰の連なる景勝地「三の宮の景」
田染 「三の宮の景」
桂川左岸に巨大な岩峰が連なり、桜や新緑・紅葉の時期などは写真映えのする光景が広がる事だろう。
一帯にはこうした岩峰が多数あり、岩肌を刻み仏の姿を現した摩崖仏が多く存在します。
宇佐神宮、富貴寺もそうでしたが、一帯には神仏習合当時の名残を留めた寺社や摩崖仏、仏塔など石像物がとても多く石の文化が栄えた地域です。
そうした背景にはそこかしこに巨岩が露出する地形と自然に対する畏敬の念を持つ土地柄もあるのかも知れない。
田染三宮八幡社
富貴寺から田染三宮八幡社車移動 / 南下10分程