名古屋の代名詞と云えばやはり金鯱輝く名古屋城。
1609年(慶長14)家康により築城され、明治維新まで尾張徳川家17代の居城で、日本三名城(熊本城、大阪城)の一つに数えられます。
金鯱輝く大天守は1945年(昭和20)の名古屋大空襲で焼失するまで当時の姿を留め、戦後鉄筋コンクリートで復元されたもの。
この大天守も木造復元の計画が持ち上がりながら、なかなか一歩が進まないようです。
一方で手前のホテルナゴヤキャッスルは2020年秋頃には建替えのため一時営業を終える。
象徴する二つの建物のツーショットが見られるのも秋までです。
今回はお城ではなく、水堀の西側で見かけた屋根神様。
尾張名所図会に描かれた名古屋城と水堀。
絵図の赤丸の範囲が下の写真になります。
暖冬とはいえやはり冬、枝だけの木々はいかにも寒々としています。
間もなく訪れる春には水堀とお城に桜の彩りが加わり美しい場所です。
西区樋の口町の屋根神様はこの通りの対面に聳えるビルの脇に鎮座しています。
左のビルに寄り添うように朽ちた小さな覆屋が建っています、神棚はその中に祀られています。
冒頭の名古屋大空襲では多くの人命と共に、周辺の住居も焼かれてしまいます。
町内の守り神は地に降りて今はここに祀られています。
屋根の高さの違う屋根違いの神棚には三社が祀られています。
お供えの榊は生き生きとし、今も神社当番があり、面倒を見てもらえているようです。
覆屋は朽ち始めていますが、神棚は綺麗に手入れされています。
祭神は秋葉社、熱田社、津島社と云われ、町内の守り神は今も健在です。
樋の口町の屋根神様
住所 / 名古屋市西区樋の口町1-15
樋の口町の屋根神様を後に西に向かい、堀川に架かる「大幸橋」を渡ります。
そこから先は「美濃路」
東海道熱田宿から桑名を結ぶ海のルートに対し、熱田宿から名古屋、清須を経由して垂井で中山道と合流する陸のルートです。
その道を更に西に2~3分程で信号のある交差点を左に進みます、次の目的地は西区城西の屋根神様です。
信号を渡り左に進むと写真のような小さな公園が視界に現れます。
手前の建物の二階に小さな社が祀られています、西区城西の屋根神様到着です。
写真は通りから南方向の眺め。
見えていた公園は「城西南公園」
住宅街の小さな公園は、街中にあって子供が安全に集える貴重な場所かもしれません。
子供の頃はこうした公園で遊んだものですが、今どきはどうでしょうかね。
通りから北方向の眺め。
一階の庇の上に綺麗に祀られるています。
屋根神を祀る住宅は住人の方も住まわれているようです。
運良くお会いできればお話をお聞きしたかった、訪れる側はその時限りでも、住まわれる方にしてみれば毎日かも知れません、屋根神様を見て廻る際はその配慮が必要かもしれません。
扉は閉じられ中の様子は窺い知れませんが、こちらの祭神も秋葉社、熱田社、津島社が祀られているようです。
ここ城西の守り神もこうして現存し、屋根の上から町を見守っています。
堀川沿いには昔の面影を留める民家や名古屋固有ともいわれる屋根神様が残っています。
屋根神様を祀るようになったのは明治頃と言われ、特に堀川の西にかけての四間道(しけみち)界隈は空襲を免れた町屋や土蔵も多く残り、ゆっくりと屋根神散策するにはいい場所かもしれません。
「城西の屋根神様」
住所 / 名古屋市西区城西1-1
かみさんとランチの後の腹ごなし、かみさんのご機嫌もよろしいようで、あと一社は付き合ってくれそうです。
ここからもう少し西の通りを目指すことにします。