西国三十三所霊場巡り 『13番 石山寺・14番 園城寺(三井寺)』 滋賀県大津市

8月22日、滋賀県大津市石山寺園城寺(三井寺)の西国三十三所霊場を訪れてきました。
今月初めに青春十八切符を利用し、『17番・18番・19番』を回り、利用回数も残っているので、13番・14番も回ろうという事。
当日の天気は晴れ時々曇りで、猛暑は一服と想定していたが、現地は強い陽射しの降り注ぐ快晴。
いつもの様にJR金山駅から7:00過ぎの列車に乗り、米原で乗り換え、9:30頃にJR石山駅到着。

最初の目的地石山寺へは京阪電鉄石山坂線で終点石山寺駅まで向かいます。
丁度到着したばかりでしたが、ダッシュは諦め一本見送る。

610京都橘ラッピング電車。
2両編成の可愛い電車、側面の「滋賀のみんなに、しってホシーノ!!」が印象に残る。
今日の移動はこの電車で移動します。

約5分程で折り返し駅の石山寺駅到着。
折しも大河「光る君へ」が放送され、紫式部が取り上げられていて、今回訪れる札所の中で混雑を想定しましたが、電車で訪れる方は意外に少なく混雑とは程遠い状況で一安心。
駅から13番札所石山寺東大門までは瀬田川左岸沿いに15分程、影を探しながらの徒歩移動です。
川沿いなんで少しは良い風が吹くかと思いきや、日陰は少なく暑いものは暑い。

左手に「朗澄大徳ゆかりの庭園」が見えてくれば東大門は近い。
石山寺中興の祖と言われる朗澄律師(1131-1209)、亡くなる際に「一切経を守護し万民の降魔招福の為鬼の姿になる」と誓い石山寺を護ると宣言したといいます。
小さな庭園の池の先に青鬼となり石山寺を守り続ける朗澄律師の姿がある。
石山寺には律師の画いた多くの絵や書写が残ります。

10:00
西国13番札所石山寺東大門。
瀬田川左岸沿いに建つ入母屋瓦葺の八脚門で、寺伝によれば源頼朝が寄進したとされ、幾度か焼失を繰り返し現在の門は豊臣時代の淀君により修理されたという。
両の間の仁王像は運慶・湛慶の作と伝わるもの。

石山寺境内マップ。
仁王門をくぐった参道の両脇に明王院・密蔵院・大黒天等の塔頭寺院が連なり、チケット販売所から右側に本堂、多宝塔などの主要伽藍が集まっており、最深部の豊淨殿や光堂、紫式部像や八大龍王社など見て回るだけでも2時間程要し、主要伽藍以外の大河館や他の見所を見ていくと半日コースとなるのでは。
石山寺は古来より文学作品に登場し、紫式部源氏物語を起筆した寺で、松尾芭蕉島崎藤村なども滞在するなど文学の寺として知られています。

公風園の牛車。
絵巻に描かれる雅な世界が浮かんでくる。

石山寺手水鉢の龍と不動明王

石山寺本堂。
礼堂(外陣)と正堂(内陣)を合の間で繋いだ檜皮葺で県内最大の木造建築物。
礼堂の下部は舞台造りとなっており、結構な高さに建てられています。
右側の火灯窓が源氏の間。

源氏物語はこの間から生まれた。
紫式部が愛用した硯は豊淨殿で見ることができます。

月見亭。
本堂の右手の高台に建つ多宝塔の右にあり、平安時代後期の保元年間(1156~1158)、後白河天皇行幸に合わせ建てられたとされます。
現在の建物は江戸時代前期の貞保4年(1687)に建てられた寄棟の建物で当時は萱葺だったようです。
迫り出した崖の上に、袴腰で覆われた舞台造りの建物は、四方吹き抜けで高欄が廻らされたもの。
月を愛で和歌を詠むための建物で、歌川広重近江八景「石山秋月」にも描かれている。

11:30
境内最深部の光堂と紫式部像。
世界的な文芸作品「源氏物語」を創作した紫式部、書き連ねた道具は紙から始まり、筆や墨など当時は貴重なものだっただろう。

エアコンも冷感素材もない時代、十二単はいかにも暑そうだ。

石山寺
山号 / 石光山
宗派 / 東寺真言宗
創建 / 天平19年(747)
開山 / 良弁
開基 / 聖武天皇
本尊 / 如意輪観音
札所 / 西国三十三所第13番
所在地 / ​​滋賀県大津市石山寺1-1-1​​

手打ち蕎麦 蕎麦屋すみ蔵。
東大門から石山寺駅方向徒歩2分程の蕎麦屋
当初昼食はカツ丼か蕎麦を予定していたが、暑さからカツはパスして冷たい蕎麦一択となる。
予定した蕎麦屋が定休日のため、石山寺参道沿いのこのお店に立ち寄った。
写真はもりそば(1000円)とお任せ3種盛り(900円)+黒ラベル(570円×2)。
評価 / 良く冷えていて暑い日には嬉しかった、店内の雰囲気程蕎麦に拘りを感じなかった。
蕎麦湯がサラサラで蕎麦の風味は感じられなかった。
ビールが良く冷えていてとても嬉しかった。
所在地 / 大津市石山寺1-3-17

12:47
石山寺駅到着。
616「ひかる君へ」ラッピング電車で次の目的地14番札所園城寺に向かいます。
くねくねと何度も曲がりながら、市街地を走り最寄り駅の三井寺駅まで約20分程の移動時間。

三井寺駅から琵琶湖第一疎水沿いに園城寺に向かいます。
京都の飲用水や農業用水等の水事情の改善、発電や物資輸送ルートとして明治45年(1912)に完成した人口水路で幾つものトンネルをくぐり、京都南禅寺の蹴上に繋がっています。
この疎水が地下に潜る辺りから、北へ5分程進んだ園城寺町交差点の左側に園城寺大門が現れます。

13:45
西国14番札所園城寺(三井寺)表門の大門に到着。
宝徳4年(1452)の建築とされ、もともと湖南市西寺鎮座の常楽寺の門で、秀吉により伏見城に移築、後の徳川家康が慶長6年(1601)に園城寺に寄進した入母屋檜皮葺で三間一戸の楼門。
両脇の間には康正3年(1457)に制作された金剛力士像が安置されています。

三井寺境内マップ。
三井寺は琵琶湖南西の長等山の中腹に鎮座する天台寺門宗の総本山で、正式名称は長等山園城寺といいます。
創建は定かではありませんが、7世紀に大友氏の氏寺としてはじまったようです。
平安時代の第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興され、源平の争乱、南北朝の争乱等の焼き討ちに遭いましたが、都度復興され不死鳥の寺として今日に至ります。
通称三井寺の呼称の由来は、境内に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」が転じて三井寺となったようです。
その霊泉は、大門をくぐって正面の金堂左側の閼伽井屋と呼ばれる小さな堂の中で今も湧き続けています。

金堂(本堂)と閼伽井屋(左)。
現在の金堂は慶長4年(1599)、北政所により再建された、入母屋檜皮葺で三間の向拝を持つ重厚な建物で、内部は外陣・内陣・後陣の三区画に別けられています。
本尊の秘仏弥勒菩薩は内陣に安置されています。

伽藍は金堂の西側に一切経堂、唐院潅頂堂、南に微妙寺、西国14番札所観音堂と鎮座します。

閼伽井屋正面の蟇股に施された左甚五郎作の龍の彫刻と霊泉。
耳をすませば、ボコッ・ボコッと地下深くから湧き出る霊水の音が今も聞こえます。

金堂右側に近江八景「三井の晩鐘」で知られる鐘楼があります。
切妻檜皮葺で、周囲は腰板で囲われ、その上には縦格子が入れられた特徴のある建物です。
吊るされる梵鐘は、慶長7年(1602)に当時の園城寺道澄師の発願によって「弁慶の引き摺り鐘」を模鋳した二代目という。
この梵鐘には弁慶に纏わる伝説や不思議な言い伝えが残ります。

奈良時代に鋳造されたとされる初代梵鐘は閼伽井屋の左の霊鐘堂で公開されています。

微妙寺から観音堂に向かう途中の力軒、創業1810年の茶屋。
写真はこちらで出されている辨慶力餅。
かみさん曰く「これを食べるため…」という事らしい。
求肥餅にきな粉と抹茶、和三盆糖をまぶした柔らかい餅で、見た目ほど甘々ではなく二本は無理かなと思っていたが、ペロリとたいらげられる。
タップリとまぶされた抹茶がポロポロ落ちるので食べ方には要注意。

茶屋から右手に向かい西国三十三所14番札所観音堂に向かいます。

参道の先に写真の石段が現れればその先が観音堂です。
石段上り口から見上げると左側に見えるのが百体観音堂で舞台造りの建物は観月舞台。
南院の伽藍の中で一番の見所だと思っています。
嘉永3年(1849)に造られた入母屋檜皮葺きの舞台は普段立ち入りは出来ません。
桜の時期には予約が取れさえすれば舞台に上がることができ、床に写り込む桜と眺望が美しい所でライトアップも行われます。
予約制の瑠璃光院の事を思い出すと、ハイシーズンに訪れる決断ができないでいます。

観音堂境内からは眼下に大津の町と琵琶湖の眺望が広がります。
15:10
観月堂右手から石段を下り、大津の町の散策しながらJR大津駅に向かいました。

園城寺(三井寺)
山号 / 長等山
宗派 / 天台寺門宗
創建 / 7世紀
中興 / 貞観元年(859)
開基 / 大友与多王
本尊 / 弥勒菩薩
札所 / 西国三十三所第14番
所在地 / ​​滋賀県大津市園城寺町246​​

長等商店街。
観音堂から石段を下り5分程東の大津市長等にある商店街。
こから東にかけて昭和レトロな雰囲気が漂う商店街が連なり、雰囲気のみならず、BGMも昭和世代には懐かしい曲が流されています。
こちらで赤こんにゃくや麩、この通りに軒を連ねる平井商店で地元の酒を何本か買い求め、大津駅から16:00頃の電車で帰途に着きました。

平井商店
創業万治元年(1658)の小さな酒蔵で代表的な銘柄は浅茅生、利き酒は行っていません。
所在地 / ​滋賀県大津市中央1-2-33

剣呑。
このラベルを見て怖いもの見たさで買ってみました。
文言通り迂闊に開けると大変なことになる濁り酒で、爽やかな飲み心地のお酒。
他に浅茅生銘柄を何本か手に入れたのでしばらく楽しめそうです。
参拝日 / 2024/08/22