中区松原町の緩やかな北垂の住宅地に鎮座する山神社、今回はこちらを掲載します。
鎮座地は前回の白山神社社頭前を東西に延びる大須通の南側にあたり、徒歩2・3分ほどの位置にあります。

山神社社頭。
ほぼ南向きに鳥居を構え、小さな杜の中に社殿が建てられています。
この辺りは市内を南北に延びる象の鼻と呼ばれる熱田台地の西端にあたり、同じ台地上の白山神社と山神社ですが、大須通を隔て微妙な谷となり、堀川方向へ続いています。

明治末期に建立された鳥居の右に「村社 山神社」の社号標が立てられ、境内左に社務所、中央の社殿、右側に地蔵堂とその後方に忠魂碑が立てられている。

参道から社殿の眺め。
一対の狛犬の先には拝殿と幣殿、本殿を収める覆屋。
決して広くない社地ですが、境内は榎や楠の杜に囲まれ、コンパクトに纏められた神社ながら、地元の参詣者が訪れる町の神社なのが伝わってきます。
街中の小さな神社は、世代交代や住民の入れ替わりによって地域とのつながりが薄れると、生活に関係のない存在として忘れられ、気づけば荒廃し姿を消してしまうこともあります。

境内を守護する狛犬。
年代は不明ながら、小さな体で精一杯虚勢を張る子犬のようにも見てとれる。

拝殿から本殿の眺め。
参拝にあたり、周囲を見まわすが賽銭箱は見当たらなかった。
山神社とは農耕民族の日本人が持っていた自然への畏敬の念を形にしたもの。
現在の当地に於て山の神といわれてもピンとこない存在だろう。
当社の由緒は現地に掲げられておらず、愛知県神社名鑑(1992)から山神社の歴史を引用すると以下のような内容。
『十五等級 山神社 旧村社
鎮座地 名古屋市中区松原一丁目六番一八号
祭神 大山祇命、武速須佐之男命、火之迦具土
由緒
創建は明らかでないが享保年間(1716~1735)に既に鎮座す。
古くは七本榎の森、又は七ツ石の社と呼んだ。
明治五年村社に列格する。
同四十四年十二月葺替え石垣を建造した。
大正二年二月、境内神社の津島社、迦具土社を本社と合祀する。
昭和二十年三月空襲で社殿被災、同二十年五月社殿復興改築した。
例祭日 十一月七日
社殿 本殿流造、幣殿、拝殿』とあった。
地史は見ていないが、「享保年間、既に鎮座す」とあるのは、尾張志などに記述がみられるのだろう。
この周辺の熱田台地には古墳が点在し、古くから人が定住していたことから、はじまりは江戸時代中期を更に遡るのだろう。
社地が動いた記録は見つからず、住宅やビルが連なる現在の姿とは違う世界を見続けてきた。
参拝にあたり、周囲を見まわすが賽銭箱は見当たらなかった。
山神社とは農耕民族の日本人が持っていた自然への畏敬の念を形にしたもの。
現在の当地に於て山の神といわれてもピンとこない存在だろう。
当社の由緒は現地に掲げられておらず、愛知県神社名鑑(1992)から山神社の歴史を引用すると以下のような内容。
『十五等級 山神社 旧村社
鎮座地 名古屋市中区松原一丁目六番一八号
祭神 大山祇命、武速須佐之男命、火之迦具土
由緒
創建は明らかでないが享保年間(1716~1735)に既に鎮座す。
古くは七本榎の森、又は七ツ石の社と呼んだ。
明治五年村社に列格する。
同四十四年十二月葺替え石垣を建造した。
大正二年二月、境内神社の津島社、迦具土社を本社と合祀する。
昭和二十年三月空襲で社殿被災、同二十年五月社殿復興改築した。
例祭日 十一月七日
社殿 本殿流造、幣殿、拝殿』とあった。
地史は見ていないが、「享保年間、既に鎮座す」とあるのは、尾張志などに記述がみられるのだろう。
この周辺の熱田台地には古墳が点在し、古くから人が定住していたことから、はじまりは江戸時代中期を更に遡るのだろう。
社地が動いた記録は見つからず、住宅やビルが連なる現在の姿とは違う世界を見続けてきた。

祭神は大山祇命に武速須佐之男命、火之迦具土が合祀されている。

手前の石標には西脇町とある、明治初期に誕生し、昭和末期に松原町となる前の当地の地名。
境内の玉垣などの寄進物には明治期のものが多く残っています。

手前の石は重軽石だろうか。
古くは七ツ石の社と呼ばれたとも伝わる事から、これらは七ツ石に所縁のあるものだろうか。


祭神 / 大山祇命、武速須佐之男命、火之迦具土
創建 / 不明
境内社 / ・・・
所在地 / 名古屋市中区松原1-6
白山神社から山神社 / 社頭から大須通を渡り、南へ向かい、一筋目を左に進んだ60m先。
参拝日 / 2026/01/09
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