前回の春日大社 2から引き続きとなる今回は、春日大社南門から左に続く参道沿いに鎮座する若宮や紀伊神社までの境内社を巡ります。
上が若宮十五社巡りのマップ。
南門を出て左に向かい燈籠の連なる参道をひたすら真っすぐ進みます。
春日大社では親神様の本社(大宮)と若宮(子神)を結ぶ参道の御間道を神前のように捉えて燈籠が奉納され、鎌倉時代末より並び始め、やがて境内全域に広がって行き、春日大社から始まった参道に燈籠を並べる風習は、江戸時代には全国の社寺に広がりました。
春日大社には全国に存在する室町時代の灯籠の六割以上あるという。
境内の石燈籠は二千基、釣燈籠は千基あり、日本一の数とされています。
御間型燈籠。
戦国時代のルイス・フロイス(1532~1597)によって書かれた『日本史』には春日大社の燈籠を「とても精巧に造られた石柱が並び、方形の石の上に立ち、木製の火袋は漆で黒く塗られ、鍍金した真鍮の枠がはめられ、豪華な透かし細工や浮き彫りの飾り、その上には石の笠が載って風雨でも灯明は消えないようになっている」と書かれていると云う。
鎌倉時代後期より並び始めた御問型燈籠の火袋は木製のため、十年に一度の交換が必要になるという。
三歳の徳川頼宣による一基を除き、五百年の間に漆や飾り金具は全て失われ現在の白木になっていった。
こうした燈籠が若宮まで続いています。
南門から参道を進み、小さな朱色の神橋を渡った左の本宮神社遥拝所。
摂社 本宮神社遥拝所
御祭神 / 武甕槌命、経津主命、天児屋根命
例祭 / 11月9日
神徳 / 御蓋山は太古の昔より霊山と崇められる神奈備(神様が鎮まる所)で、神護景雲二年(768)本社第一殿御祭神の武甕槌命が白鹿の背に乗り、 頂上の浮雲峰に天降られた神蹟である。
毎月一日にはこの所に神饌を供し、頂上の本宮神社を遥拝する。
そこから先に進むと右手に楠木の老木と正面に若宮社拝舎が見えてきます。
その手前の斜面に朱の社が祀られています。
上
参道の先は開け、燈籠の脇の高みに一社祀られています。
下
十五社巡り第二番納札所 一童社(三輪神社)
祭神 / 少彦名命
例祭 / 11/25
神徳 / 医薬を司り、子供の成長を守護する
参道を進んだ左に第三番、第四番納札所、正面には若宮の社殿が目の前に鎮座します。
しかし、明治政府から若宮社が摂社に位置付けられたために式年とはならず、不定期な修繕で造替が行われ、120年余りで5回の造替だったとされ、2021~22年の第43次式年造替以降は20年の造替に戻されたようです。
例祭 / 12/17
白河上皇は建設促進の院宣を発せられ、長承四年(1135)二月二十七日の若宮社殿の創建日には、鳥羽上皇や関白が都より多くの貴族を引き連れ参拝された。
20年に一度遷宮が行われる事もあり社殿は傷みもなく美しい姿を保っています。
伊勢神宮やその他の神社でも式年遷宮が行われますが、人によってはもったいないとか、資源の無駄と思われるかもしれませんが、近代建築の建替とは違い古いものは関連する神社等に移築・再利用され、遷宮が円滑に行われることで、全体の陳腐化を防いでいる。
国宝に指定されるとそれは出来なくなりますが、本殿以外は指定されておらず遷宮が可能となります。
伊勢神宮が遷宮できるのも国宝の社殿がないこともあります。
国宝が創始される明治以前は鏡神社の本殿も春日大社の第三殿が再利用され、春日移しと呼ばれています。
そうしたイベントは技術の継承にも繋がり、杜の新陳代謝にも繋がっていくはずです。
人工減少の進む中、新しいものを建て、古くなると壊して廃棄、そした新たに建てる、資源の浪費は現代の方が酷いかもしれない。
タワーマンションが林立する現在、行く末はどうなるのか?負の遺産と化していくのだろうか。
第15番納札社 夫婦大国社
祭神 / 大国主命、須勢理姫命
神徳 / 夫婦円満、良縁、福運守護の神
例祭 / 11/16
夫婦大国社(内部撮影禁止)と若宮十五社巡り案内板。
正式に若宮十五社巡りをするのであれば、こちらで受付と玉串札を受け取り巡拝します。
夫婦大国社前の手水舎の龍、威厳のある姿で清水を注いでいた。
若宮の右に鎮座する二社、中央は赤乳・白乳雨社遥拝所。
左の春日造りの社が第五番納札社 広瀬(ひろせ)神社です。
神徳 / おいなり様と同神で衣食住を守護
例祭 / 11/25
赤乳・白乳雨社遥拝所
ここから南の2.5㌔先に鎮座する末社赤乳神社・白乳神社の遥拝所で、赤乳神社は女性の下半身、白乳神社は上半身を守護する神様。
ここから先の参道に見えているのは第7番納札社 三十八所神社。
第7番納札社 三十八所神社
創建は久安2年(1146)とされ、春日造の社殿が多い中にあって珍しい檜皮葺の流造。
祭神 / 伊弉諾尊、伊弉冉尊、神日本磐余彦命
神徳 / 発明・起業の神
上
三十八所神社の右に鎮座する第8番納札社 佐良気(さらけ)神社。
祭神 / 蛭子神(えびす様)
神徳 / 商売繁盛、交渉成立を守護する
例祭 / 1/10
下
三十八所神社と佐良気(さらけ)神社全景。
第13番納札社 元春日 枚岡神社遥拝所。
祭神 / 天児屋根命、比売神
神徳 / 延命長寿の神
第14番納札社金龍(きんりゅう)神社。
枚岡神社遥拝所の参道右に鎮座する神社。
今から700年程前、鎌倉幕府の零落による世の乱れを嘆いた後醍醐天皇は、倒幕を志すも事半ばにして幕府に露見、天皇は逃れ笠置へ落ちさせられた、元弘元年(1331)八月二十五日、世にいう元弘の変。
後醍醐天皇は春日社に潜幸し一面の鏡を奉安し天下泰平の祈願をされたのが金龍神社の起こり。
宮中の(庫裏)の鏡を奉安する事から金裡殿とも呼ばれる。
祭神 / 市杵島姫命
神徳 / 諸芸発達を守護、七福神の弁天様とも伝えられる神様で天河弁財天と伝えられています
例祭 / 7/7
神徳 / 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命
神徳 / 万物の生気、命の根源を守護する
例祭 / 9/15
社左の龍王珠石。
燈籠前に無造作に置かれた複数の石で、この石群は善女龍王が尾玉を納められた場所とされ、奈良名所絵巻などにも龍王珠石は記されているという。
南門からここまでの所要時間は参拝・撮影含め約1時間程でした、早い人は30分程で戻ってこられます。
紀伊神社から先は上のように奥之院道と呼ばれる細い参道が続き、春日大社の南側の境外に至ります。
看板にあるように、この先には神社はありません。
新薬師寺が鎮座する高畑町方面へはこちらが近いかな。
人通りもなく、静かな杜の雰囲気を味わいながら春日大社を後にします。
オーバーツーリズムで身動きが取れない京都に比べ、個人的にはやっぱり奈良がいい。
若宮十五社巡り
南門から最後の納札所紀伊神社まで写真データで50分。
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