
星崎第一公園の東側、道路の先の民家の間に場違いとも思える杜に囲まれた一画
石灯籠から伸びる参道、その先に鳥居と拝殿が微かに見えています
西を向いて鎮座する、喚續(よびつぎ)神社です
石灯籠から伸びる参道、その先に鳥居と拝殿が微かに見えています
西を向いて鎮座する、喚續(よびつぎ)神社です

龍もいるけれど静水は張られていない


拝殿前の守護担当
鳥居担当に比べると多少スリムで印象の薄い存在です
鳥居担当に比べると多少スリムで印象の薄い存在です

拝殿から本殿の眺め、暗くて良く見渡す事は出来ませんでした
拝殿に掲げられた「喚續宮」と記された扁額
社殿は木の木目が印象に残り、派手な装飾の無いシンプルなものです
当日、神社境内を手入れされていた方のお話では「500年の歴史がある」と伺いました
色々と調べて見ました、創建は1523年(大永3)と伝わる様で、伺ったお話と符合します
縁起によると
「幾度か神社西の海岸堤防が決壊した、そこで伊勢神宮へ祈願して、1万回のお祓いをうけたところ、神徳があり堤防が完成した。そのため社殿は伊勢神宮へ向けて建築された。」
とありました、正しく境内入口は遥か先の伊勢方向を向いています
拝殿に掲げられた「喚續宮」と記された扁額
社殿は木の木目が印象に残り、派手な装飾の無いシンプルなものです
当日、神社境内を手入れされていた方のお話では「500年の歴史がある」と伺いました
色々と調べて見ました、創建は1523年(大永3)と伝わる様で、伺ったお話と符合します
縁起によると
「幾度か神社西の海岸堤防が決壊した、そこで伊勢神宮へ祈願して、1万回のお祓いをうけたところ、神徳があり堤防が完成した。そのため社殿は伊勢神宮へ向けて建築された。」
とありました、正しく境内入口は遥か先の伊勢方向を向いています

1632年(寛永9)の8月夜に落下した日本で2番目に古い南野隕石が社宝とされます
隕石は、塩田庄屋村瀬家に保存された様ですが、1829年(文政12)に喚続神社に寄贈され、社宝として保管されているそうです
因みに最古の隕石は、861年(貞観3)に福岡県直方市に落下した「直方隕石」です
下の絵は『尾張名所図会』の付録に「星降て石となる」と記され、この辺りの塩浜にいた村人が落下した隕石(中央下)を驚いた様子で取り囲む姿が記されていました
突然轟音と共に、光り輝く物体が落ちてくれば、誰しも同じ表情をするのかもしれません
隕石は、塩田庄屋村瀬家に保存された様ですが、1829年(文政12)に喚続神社に寄贈され、社宝として保管されているそうです
因みに最古の隕石は、861年(貞観3)に福岡県直方市に落下した「直方隕石」です
下の絵は『尾張名所図会』の付録に「星降て石となる」と記され、この辺りの塩浜にいた村人が落下した隕石(中央下)を驚いた様子で取り囲む姿が記されていました
突然轟音と共に、光り輝く物体が落ちてくれば、誰しも同じ表情をするのかもしれません

星崎近隣には1205年と1632年に隕石が落ちた記録があるそうです
星宮社にも隕石の伝承が記され、星崎や鳴海の地名もこれらの隕石が由来するようです
星宮社にも隕石の伝承が記され、星崎や鳴海の地名もこれらの隕石が由来するようです



鳥居の脇に「神?馬屋」と書かれているようですが、馬屋とは思えない外観
コンクリート製の鳥居の様にも見えます



中には帽子と前掛けを付けられた優しい表情の地蔵が祀られています

小さな境内ですが拝所の左に聳えるイチョウの木は保存樹に指定されるなど、立派な木々が杜となり
社を包んでいます

喚續神社との関係や創建時期などは分かりませんでした
喚續神社
創建 / 1523年(大永3)
祭神 / 天照大御神、国常立命、 迩々杵命
住所 / 名古屋市南区星崎1丁目146
アクセス / 名鉄名古屋本線「本星﨑駅」下車、南西へ徒歩15分程