喚續神社

名古屋市南区星崎1丁目
笠寺台地の南外れとでも言えばいいのだろうか
古くは年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれ、遠浅の海岸だった場所です
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今では新幹線の高架が延々と続き、その東には鳴海へと続く国道1号線が伸びていて
星崎第一公園で遊ぶ子供達、この場所で海を感じ取れるものは無いかも知れません
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星崎第一公園の東側、道路の先の民家の間に場違いとも思える杜に囲まれた一画
石灯籠から伸びる参道、その先に鳥居と拝殿が微かに見えています
西を向いて鎮座する、喚續(よびつぎ)神社です
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喚續神社の狛犬、全体の印象は丸みのあるフォルムで頭でっかち気味か?
妙に阿形の舌が印象に焼き付いて離れません
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境内右手に手水舎、手水鉢
龍もいるけれど静水は張られていない
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内削ぎの千木と6本の鰹木を配った神明造りの拝殿と両脇の境内社全景
手前で二つ目の狛犬が守りを固めています
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拝殿前の守護担当
鳥居担当に比べると多少スリムで印象の薄い存在です
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拝殿から本殿の眺め、暗くて良く見渡す事は出来ませんでした
拝殿に掲げられた「喚續宮」と記された扁額
社殿は木の木目が印象に残り、派手な装飾の無いシンプルなものです

当日、神社境内を手入れされていた方のお話では「500年の歴史がある」と伺いました
色々と調べて見ました、創建は1523年(大永3)と伝わる様で、伺ったお話と符合します

縁起によると
「幾度か神社西の海岸堤防が決壊した、そこで伊勢神宮へ祈願して、1万回のお祓いをうけたところ、神徳があり堤防が完成した。そのため社殿は伊勢神宮へ向けて建築された。」
とありました、正しく境内入口は遥か先の伊勢方向を向いています
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1632年(寛永9)の8月夜に落下した日本で2番目に古い南野隕石が社宝とされます
隕石は、塩田庄屋村瀬家に保存された様ですが、1829年(文政12)に喚続神社に寄贈され、社宝として保管されているそうです
因みに最古の隕石は、861年(貞観3)に福岡県直方市に落下した「直方隕石」です

下の絵は『尾張名所図会』の付録に「星降て石となる」と記され、この辺りの塩浜にいた村人が落下した隕石(中央下)を驚いた様子で取り囲む姿が記されていました
突然轟音と共に、光り輝く物体が落ちてくれば、誰しも同じ表情をするのかもしれません
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星崎近隣には1205年と1632年に隕石が落ちた記録があるそうです
星宮社​にも隕石の伝承が記され、星崎や鳴海の地名もこれらの隕石が由来するようです
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上段
拝殿左に境内社が4社祀られています
左から迦具土社、大国主社、住吉神社、新宮社
下段
拝殿右の祀られる2社は
左が塩竃社、右が御霊社
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御霊社の右手に巨大な楠木、その下に小社「白龍社」と楠木を取り囲む様に「白龍大神」の白い幟が
立ち並んでいます
ここの楠木も枝振り、幹回りともに見応えがあります
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鳥居から境内左に社務所
鳥居の脇に「神?馬屋」と書かれているようですが、馬屋とは思えない外観
コンクリート製の鳥居の様にも見えます
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「白龍社」の前から南に続く脇参道から、楠木と喚續神社境内の全景
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南側道路に小さな堂と奥に拝所が建つ一画、拝所の先には社の姿もあります
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手前の小堂は地蔵堂の様です
中には帽子と前掛けを付けられた優しい表情の地蔵が祀られています
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方形屋根の拝所、その奥に東を向いて祀られている社は琴飛羅社
小さな境内ですが拝所の左に聳えるイチョウの木は保存樹に指定されるなど、立派な木々が杜となり
社を包んでいます
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琴飛羅社西側から境内全景
喚續神社との関係や創建時期などは分かりませんでした

喚續神社
創建 / 1523年(大永3)
祭神 / 天照大御神、国常立命、 迩々杵命
住所 / 名古屋市南区星崎1丁目146
アクセス / 名鉄名古屋本線「本星﨑駅」下車、南西へ徒歩15分程