児玉白山社としゃんしゃん馬・碑

児玉 「白山社」
 御嶽神社を後にして、東に向かい国道22号線を越え15分程の西区児玉の白山社に向かう。

上は、6月3日に枇杷島を訪れ参拝した神社を落として見ました。
 この日の陽差しは夏モードに変わっていない体に堪えるばかり、気持ちが萎えてしまった。
見ての通り、足取りは既に地下鉄浄心駅を目指しています。

白山社が鎮座する児玉町、名古屋城の北西に位置し、西春日井郡児玉村から名古屋市編入後西区児玉町になった。
 一帯はつい最近までは田畑が広がり、メリヤス生産が盛んだったようですが、今は住宅街に変貌しそうした名残を感じる事はない。

丹羽長秀邸跡。
 白山社の社頭の南にあたり、曹洞宗薬師寺の前に石碑が立つ。
丹羽長秀は丹羽長政の次男として尾張国春日井郡児玉に生まれ、織田信長その後の豊臣秀吉に仕えた織田四天王の一人、そんな彼を語る解説板は見当たらなかった。

白山社社頭。
 社号標、常夜灯は1912年(大正元年)寄進の物。
参道は駐車場になっていますが参拝者用のものではなさそう、周辺の道は狭く駐車余地はないので車で訪れると厄介かもしれない。

参道を抜けた右側の石標。
 1852年(嘉永5)の年号が見える。

神明鳥居(明治37)から境内。
 社地は南北に長く、拝殿と幣殿、本殿が主要な伽藍のようです。
街並みの中に緑の杜を持ち、街中でよく見かける佇まい。
 社地を取り囲むように児玉白山稲荷大明神の赤い幟と児玉白山社の白い幟がはためいていた。

境内右の手水舎。
 綺麗に掃き清められた境内は氏子から大切にされているのが伝わってくる。

境内の杜は手前のイチョウと奥の楠の木が主に形造っている。
 拝殿は瓦葺の切妻で四方吹き抜けのもので大きな白山社の額が目に入る。

拝殿前の狛犬
 毬持ちの阿形と子持ちの吽形、その後方に白山常夜灯、児宮堂の石標があるが何れも寄進年を確認し忘れていた。

拝殿は装飾を押さえたシンプルな外観、それだけに金色で書かれた「白山社」の額が強調される。
 神門は左三つ巴か。

拝殿前の縁起。
「白山社(児玉の鎮守・産土神)
 創建(勧請) 不詳(1700年代)
伊弉諾命、伊弉冉命天照大神、大物主命」
 ・・・とある、幟の児玉白山稲荷大明神境内社かな。
これだけ教えて頂けるだけでもありがたいものだが、白山比咩神社のHPで児玉白山社の記述が見つかった、そこには以下の記述があった。

「御祭神 伊弉册尊他11柱、氏子数2,388世帯。
創祀は不詳であるが、安永2年(1773)の木札があり、大正12年の報告文書に「祭神伊弉冊尊ニシテ加賀白山御分家トナリ云伝フ。」とある。
尾張徇行記」(150年前)には「白山社内一畝御除地、観音寺ノ支配ナリ」とだけ書かれている。
明治時代、児玉には白山社の他に五社あったが、大正7年に合祀され、祭神は11柱あります。
現在の本社末社は昭和24年に改築、拝殿は大正6年に改築されたものである。
現在は児玉学区に唯一の氏神様であり、宮司はじめ氏子総代31名で秋の例大祭他、九の祭事と月次祭の行事を町内一帯となり行っております」

児玉の市街化に伴い白山社に纏められ、その中の一つが稲荷社なのだろう。
 それにしても稲荷社の社殿が見当たらない。

拝殿右の奥に境内末社が三社。
 金毘羅社、神明社秋葉社とある。
稲荷社に拘るつもりはないが拝殿左奥も見たが稲荷社は見当たらなかった。

社地西側からぐるっとひと回り。

北側から本殿、拝殿方向の眺め。
 本殿は神明造で鰹木は6本、千木は水平に切られている。

拝殿右の境内末社
 奥から金毘羅社、神明社秋葉社が祀られている。
縁起の4柱と末社を合わせても11柱には及ばないが本殿域に祀られているのかナ。
 
それにしても綺麗に手入れされ、参拝に訪れても気持ちがいい。

   ひと回りして社頭に戻る際に鳥居東で見かけた覆屋。
これが稲荷社?と期待するがこちらは名古屋市指定史跡「しゃんしゃん馬・碑」

由緒と覆屋。
「昔、戦国時代に白山社東に児玉と云う姫の家があり、他の娘と一緒に押切へお針の稽古に行く途中、走ってきた馬に突き当たったのがもとで死んでしまった。
 しかし連れの娘たちはその馬の姿が見えなかった。
その後児玉村から徴発された馬が戦死したという知らせがあったので、あれはその馬の霊が帰ってきたのだということになって碑を建てて馬の霊を祭ったという。
※歯痛がなおると言い伝えがあり、お参りすると、身体健全を、見守って頂けます。
 児玉白山社氏子総代会」

碑の建てられた通りはとても細く、入り組んでいます。
 不思議な話ですが、帰ってきた馬はともかく、車で訪れるのはお勧めしません。
歯に御利益があるのであればお参りしておこう。

覆屋の中の祠。
 子安地蔵が安置され元文元年八月一五日日、丙辰(1736)と刻まれていると云う。
当時の念仏講中で創建され、今も大切に受け継がれている。

 穏やかな表情をした子安地蔵。

覆屋左手に役行者
 像の裏側には嘉永七年(1854)と刻まれていると云う。
由来は定かではないようですが、毎月二十四日には地蔵尊と共にお祭りが行われると云う。

児玉白山社
創建 / 不明
祭神 / 伊弉諾命、伊弉冉命天照大神、大物主命他
境内社(確認したもの) / 金毘羅社、神明社秋葉社
所在地 / ​名古屋市西区児玉3-19-6
徒歩ルート / 御嶽神社から​東に向かい国道22号線を越え15分程
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線「浄心」下車、西に15分程
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