愛知県 知多四国巡礼:北嶌山賢聖院

近崎神明社からルートに戻り、県道57号線を南下、​内田面南交差点を右折し二番札所極楽寺に向かいます。
交差点から右折し極楽寺へ向かう通りの前方に趣のある山門が視界に入り立ち寄ってみました。

極楽寺の北側に位置し、極楽寺から徒歩2分ほどの高台に鎮座する北島山賢聖院。
この鐘楼門が道の先に見えていながら寄らないわけにはいきません。

入母屋造の木造瓦葺の鐘楼門を見上げる。

門から先の観音堂の眺め。
賢聖院は曹洞宗の寺院で、大府七福神霊場布袋尊天札所、尾州大府市内二十四ヶ寺巡りの第6番札所である。

境内は右手の寄棟瓦葺の建物が本堂と庫裏、左の観音堂が主な伽藍です。
人の気配を感じられませんが、それもそのはずで、現在は無住寺のようで、兼務寺院は刈谷市の洞隆寺が携わっているようです。
賢聖院境内には由緒沿革の類は見られず、創建など詳細は現地では知ることができません。
情報は少なく、辿り着いたのは1986年に出版された大府市誌でした。
そこから得られた内容は以下のものです。
“北嶌山賢聖院
曹源寺(豊明市)の末寺。
当寺に所蔵する「諸記録」によれば、創建は永禄7年(1564)3月で、開基甚入昌徹によって開創され、快翁竜喜の開山である。
その後、弘化2年(1845)11月22日に曹山智洞が住持になると、本堂・庫裡などを再建し、明治13年(1880)には、義翁鉤玄を寺院の確立に勧請した。
また、当時の曹源寺住持雲菴黄竜を二世に勧請し、自らは三世となって寺院の中興を果たした。
その後、曹源寺の法嗣が住持になるようになり、歴代住持の本師も、世代に請牌されている。
なお、当寺は、永安寺(名古屋市東区東桜)・大光院(名古屋市中区大須)の住持となり、「大光慈舟禅師易贐録(文政10年出版)」という語録を残した高僧仏海慈舟(1745~1823)の頂相を所蔵している。
寺宝に江戸時代の鰐口がある。”

天保15年(1844)に編纂された尾張誌にも賢聖院の名で“北尾村にあり北島山といい、曹源寺末寺”と記されています。
本尊は釈迦牟尼如来、大府七福神霊場布袋尊天札所でもあることから、本堂又は観音堂のいずれかに安置されている。

観音堂全景。
堂前の石仏には天保元号も見られました。

今は無住の賢聖院、かつての北尾村を見下ろす高台に建つ鐘楼門の鐘は、今は時を知らせることはないのだろう。

北嶌山賢聖院
宗派 / 曹洞宗
創建 / 永禄7年(1564)
開基 / 甚入昌徹
開山 / 快翁竜喜
本尊 / 釈迦牟尼如来布袋尊
札所 / 大府七福神霊場布袋尊天札所、尾州大府市内二十四ヶ寺巡り第6番札所
参拝日 / 2025/01/25
近崎神明社から賢聖院 / 県道57号線を南下、​内田面南交差点を右折直進。1.1km約15分ほど。
所在地 / 大府市北崎町北屋敷22
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