尾張旭市南新町 『本地ヶ原神社』

尾張旭市南新町
一級河川矢田川の南に位置し、昭和に入り開発に加速がかかり
昭和50年頃には雑木林の小高い丘に本地が丘住宅等が建ち宅地化が進んで行きます
それにともない周囲の田畑は少しずつ姿を消して行きます
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本地が丘住宅から少し南に下ると東西に伸びる白山道と呼ばれる通りがある
霊峰白山に続く巡礼の道・・・・・ではなくて
安土桃山時代、本地が丘住宅がある高台一帯は「白山林」と呼ばれ、「小牧・長久手の戦い」の前哨戦ともいえる、家康、織田の連合軍は白山林で陣を張る豊臣陣営を急襲し総崩れとした戦の場所
この道は長久手に繋がる重要な道筋だった
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白山道から西方向の四軒家方面を望む
右手は本地原小学校、左へ進むと長久手に至ります
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小学校の東隣で白山道に面した見通しのいい境内を持つ本地ヶ原神社が鎮座します
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鳥居左に開拓記念碑と本地ヶ原地蔵が綺麗に配置されています
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社号標の右にはこの地に伝わる昔話と白山林の合戦を伝える案内板が掲げられています
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本地ヶ原神社正面全景と鳥居に掲げられた扁額
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境内右手には造営記念碑と神社由緒書きの石碑が並びます
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造営記念碑の左に瓦葺の手水舎と澄んだ清水の満たされた手水鉢
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拝殿全景
2003年に建て替えられ伽藍全体の建物は新しく、左手に三社、右手に撫で牛が配されています
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宅地化に伴い近隣からここにまとめられたものなのでしょう
左から黒石大明神、北野天満宮、兜神社の三社が並びます
円らな眼差しの撫で牛がいる理由はこれで分かりました
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撫で牛の先の黒い自然石
宅地化に伴い矢田川南側の長坂遺跡から運ばれて来たもので、天狗岩古墳の天井石に使われていたと云わります、この付近にはこうした古墳も点在しています
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拝殿前の狛犬も新しい
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拝殿扁額と拝殿内

現在の本地ヶ原神社は、1970年(昭和45)創建とされます
前身はこの地にあった白山神社で、その創建は神亀年間(724~729年)とも伝えられ
一旦荒廃するも江戸時代に入り再興されますが、1911年(明治44)に明治政府による神社合祀令により尾張旭市稲葉町の一之御前神社に合祀されることになります
1970年(昭和45)、一之御前神社に合祀されていた白山神社を復祀し本地ヶ原神社として現在に至ります
祭神は伊弉那美大
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上段境内左の社務所と拝殿から本殿の全景
玉砂利が敷きつめられた境内と綺麗な社殿、氏子のパワーが伝わります
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上段
本殿左の御神木、これからもっと大きく聳えていき、やがて杜となっていく事でしょう
おみくじ掛には多くのおみくじが結ばれています
下段
兜神社の社前に置かれた2体の小さな人形がとても印象に残ったので一枚
境内ではこの2体以外見かけなかったのでおみくじではなさそうです

『本地ヶ原神社』
創建 / 1970年(昭和45)
祭神 / 伊弉那美大
境内社 / 黒石大明神、北野天満宮、兜神社
住所 / 尾張旭市南新町中畑237
アクセス / ​市バス「基幹2栄⇒四軒家」四軒家下車、徒歩20分程​