東広瀬町城下「廣瀬神社・広瀨城趾」

広瀨駅の前を走る県道350号線、その向かいに小高い森があります。
今回はこの森の頂に鎮座する広瀨神社と広瀨城趾を取り上げます。

所在地は​​豊田市東広瀬町城下38、いかにも城があった名残を留める地名です。
入口は県道の向かいにある「梅村源次郎翁頌徳碑」の左から石段が頂に続いています。
後日談になりますが、ここが正参道ではなく、交番から東に回り込んだ森の東側に鳥居を構える正参道があったようです。

梅村源次郎翁頌徳碑と森への入口。
広瀨城趾への道標も迷うことなく踏み込みましたが、正参道がある事を知っていれば、そちらを選択しただろう。
左の「広瀬城趾」から左方向に進むと、レンガ積みの石段があります。
因みに「マムシ注意」の看板が立っていました。

梅村源次郎氏(1868-1942)は農家に生まれ、農業を営んできたが、後に醸造業に転身し「梅正」の銘柄で財をなし、議員として交通網の発展に寄与した人物。
私費を投じて道路の改良、梅原バスの経営や矢作川に架かる広梅橋などを架け、対岸の西広瀬と東広瀨を結ぶなどに尽力した方。
「梅正」を醸し出していた梅村酒造本家は、広瀨駅の南側にあったそうですが、現在は廃業し「梅正」を味わうことは出来ません。

入口です。
結構急です、両脇は雑草が生い茂っています。
石段は所々日が差し込み、やつらが日光浴するにはいいんじゃないだろうか。
石段は100段強はあったと思いますが、手摺がないので、足元と左右前方をよく確認して登っていきます。
ヒャーといって後ずさりすると痛い目に遭います。

ひやひやドキドキしながら登り切ると右手が開けます。
奥に舞殿らしき建物が見えてきます。

境内の「東海自然歩道」のコース案内図。

左側に東広瀬城址の解説。
興国5年(1344)、当地の豪族児島高徳の築城とされ、11代続いたが永禄3年(1560)に家康により攻め落とされた。
戦国時代には矢作川を挟んで対岸の西広瀬城と対峙していたという。

これは、舞殿でいいのだろうか?
広瀨神社は城址に建てられており、この場所には、この舞殿と手水があり、社殿は主郭のあった左側の高みあります。
この舞殿から左に、広くて明るい道が下に伸びています、この先に鳥居があると思われます。

社殿に続く石段脇の手水鉢。
側面に文字が刻まれているようでしたが、写真からは識別できなかった。

少しだけ舞殿から左に進んで見たが、下を眺めても鳥居は見えなかった。

社殿へ続く石段の眺め。
ここは手摺もありよく整備されていました。

石段を上りきると、一対の狛犬と正面に社殿が現れます。

狛犬は毬と子を持つもので、昭和16年(1941)に梅村源次郎氏が寄贈したものです。

社殿全景。
拝殿は桁行3間、梁間2間で入母屋瓦葺の平入の木造で、右手に神饌所、拝殿後方に大きな覆殿があります。
境内左に大きな石碑と境内社が纏められています。

広瀨神社境内に由緒書きはなく、調べる事となりました。
まず最初に【猿投町史(1987)】に目を通す。
西広瀬の地名で八劔社の記載はあるが、東広瀨並びに廣瀬神社としては名は出てこなかった。
愛知県神社庁の登録から唯一、祭神・祭礼日だけは知ることができた。
続いて【愛知県神社名鑑】、そこには広瀬神社について以下のように纏められていました。
「広瀬神社 旧村社
鎮座地 豊田市東広瀬町城下38番地
祭神 伊佐波奈美命、児島高徳
由緒
創建は安永9年(1780)8月勧請と伝える。
社地は南朝の忠臣児嶋高徳の居城広瀬城趾を境内とする。
明治6年(1873)5月、据置公許となる。
昭和22年(1947)12月村社に列す。
同61年9月、御鍬社を広瀬神社と改称し児嶋高徳公を増祀した。
例祭日 10月15日
社殿 本殿 神明造、覆殿、拝殿、社務所、神饌所。
氏子数 四二戸」とありました。

創建が安永9年とあるので、三河国西加茂郡誌・西加茂郡誌にも目を通すが東広瀨並びに廣瀬神社として記載されていなかった。
神社由緒についてはここまでです。
祭神には広瀨城を築城した児島高徳公が祀られています。

大きな石碑は「廣瀬城址」の石碑。

その右手に社名不明の境内社

その右に石の社が祀られています。
左が山神で他は分からなかった。

拝殿正面全景。
訪れる人は少ないながら、格子戸が開けられていました。

大きな拝殿額は「廣瀬神社」とあります。

拝殿から本殿方向の眺め。

拝殿左から本殿の眺め。
神明造とあったが良く見えない、本殿域左にも複数の社が祀られているようです。

狛犬が見つめる先は西広瀬駅方向です。

さてと、駅に戻るとするか。
どちらから帰るか悩みましたが、結局この石段を下る事にしました、近いからね。
左右前方足元確認ヨシ。

それにしても、北側の線路の先は矢作川に切れ落ち、ここは急な石段。
対岸からの守りを思うと、手ごわい城だった事だろう。


東広瀬町城下「廣瀬神社・広瀨城趾」
創建 / 安永9年(1780)
祭神 / 伊佐波登美命・児島高徳
境内社 / 不明社多数
氏子域 / 東広瀬町
例祭日 / 10月第2日曜日
所在地 / ​​豊田市東広瀬町城下38
三河広瀨駅から広瀨神社・広瀨城趾 / ​​広瀨駅から広瀨城趾入口まで徒歩約1分​​​。
訪問日 / 2025/08/08
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