藤原町護国神社と鬼怒川温泉神社

栃木県の下野國一之宮「日光二荒山神社、宇都宮二荒山神社」を二泊三日で訪れ、最終日の三日目は鬼怒川温泉から始まる。

上は鬼怒川温泉の「くろがね橋」から鬼怒川上流の眺め。
 この地を訪れたのが2022/5/12、周囲の樹々は新緑が鮮やかで、鬼怒川の水も澄み清涼感漂う時期を迎えていた。

朝が早いのは毎度の事。
 食事前の時間を利用し宿から徒歩5分程西にある鬼怒川温泉ロープウェイ付近に鎮座する藤原町護国神社鬼怒川温泉神社を訪れた。


上は朝の爽やかな空気に包まれた社頭と右のロープウェイ麓駅。
 朝6:00だったが、行き交う人や車もなく町はまだ静かなものだった。

社頭の大きな明神鳥居から一段高い境内の正面が藤原町護国神社で右側に鬼怒川温泉神社が横並びに鎮座しています。
 所在地で云うと日光市鬼怒川温泉滝になります。
現在の日光市は1960年、当時の今市市、旧日光市の2つの市と足尾町、藤原町、栗山村の3つの町村が合併したもので、当地は以前の塩谷郡藤原町大字滝になる事から社名に藤原が付きます。

一ノ鳥居をくぐり参道の左に社務所と手水舎があり、石段の先にはニノ鳥居を構えています。

 時間が時間なので授与所はクローズ、当神社の神職が常駐なのか、祭礼時のみなのかは不明。

手水舎の左奥を眺めると複数の石碑が立っていた。

 右は「大山 石尊山」、中央が「湯殿山」、奥は「男体山?」と彫られ、自然への畏敬の念が窺われる。

ニノ鳥居。
 その先に茅の輪が準備されています、早いものでそんな時期も近づいてきた。(5/12時点)

ニノ鳥居から先の境内は右手に広がり、鬼怒川温泉神社に続く石段と神楽殿がある。

 藤原町護国神社
創建は1956年(昭和28)
 祭神は地元藤原町から出征した日清・日露・太平洋戦争により亡くなられた英霊256柱をお祀りする。
例祭は4月18日、8月10日(追悼式)
 御神徳は家内安全、良縁、厄祓

石段上で社殿を守護する狛犬

訪れた当時、拝殿の二つの鈴紐は降ろされ、鈴を鳴らし参拝する事が出来た。

温泉寺から眺める社殿。
 拝殿は入母屋銅板葺の平入で、拝殿後方の急峻な斜面に本殿?がある。
由緒によれば拝殿先には流造の幣殿、本殿とあったがよく分からなかった。

社殿右に星 藤太翁の胸像がある。
 栃木県議会第28代副議長や藤原村村長を務め、地元の鉄道、道路整備、温泉発掘、旅館経営など鬼怒川温泉街の発展に尽力した方と云う。

鬼怒川温泉神社。
 創建は定かではなく、万病を癒す鬼怒川温泉の効力を神格化し祀られたようだ。
由緒は以下。
祭神 / 大己貴命(おおあなむちのみこと)、少名彦命(すくなひこのみこと)
例祭 / 4月吉日
御神徳 / 家内安全、身体健全、勝運
本殿 / 流造の銅板葺
「湯薬の神は湯の神、出湯の神」ともいい、温泉の霊力を神格化し崇敬され温泉神社が建立された。
 鬼怒川温泉宿地の温泉神社を現地に遷座(温泉の守護神を祀る)
祭神は医療・禁厭の神とされ、温泉には不病を癒す効能がある為、全国より大勢の人々が欲湯を楽しむ」

石段左の常夜灯には「温泉大権現」と彫られている。

拝殿正面。
 寝ぼけ眼には朝陽を浴びた朱色と新緑が鮮やかに飛び込んでくる。

石段右に由緒沿革の掲示板。
 鬼怒川温泉神社の右の鬼怒川温泉ロープウェイで山頂に行くと、そこにも「温泉神社」「双龍門」が祀られているようですが、当神社との繋がりはここには記されていなかった。

拝殿扁額と拝殿から幣殿、本殿方向の眺め。
 拝殿は入母屋銅板葺の平入で拝殿後方は直ぐ石垣となっていて、本殿は拝殿内のこの先に祀られているようだ。

社殿は嵩上げされた上に建てられ、下は倉庫のような造りだ。
 ゆとりのある境内にあって、この嵩上げは何か意味があったのだろう。

 そろそろ朝食の時間も近い、ホテルに戻ろう。
境内を見渡すと桜の樹が沢山植えられていて、花の咲く頃に訪れると鮮やかな桜色に染まるのではないだろうか。
 
清々しい一日の始まりだ。

藤原町護国神社
創建 / 1956年(昭和28)
祭神 / 藤原町出征戦没者256柱
例祭 / 4月18日、8月10日(追悼式)

鬼怒川温泉神社
創建 / 不明
祭神 / 大己貴命、少名彦命
例祭 / 4月吉日
参拝日 / 2022/5/12
所在地 / 栃木県日光市鬼怒川温泉滝 
公共交通機関アクセス / 東部鬼怒川線「鬼怒川公園」から滝見橋経由徒歩15分程
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