臼杵石仏 §4 『紫曇山 満月寺』

大分県臼杵市深田にある深田の里、その東外れに紫曇山 満月(ガツ)寺は鎮座します。

里の中ほどは臼杵石仏公園として整備され、そこから西を眺めると臼杵石仏群と日吉神社が一望できます。
 この公園の東、満月寺本堂の正面に臼杵石仏蓮畑があり、シーズンには一面見事な蓮の花が咲き誇るようです、訪れたのが10月26日という事もあり、この時期の蓮田は葉は枯れて寂しいものがある。

公園中ほどにこの公園の成り立ちが記されていました。

「現在の石仏公園一帯は、12世紀末臼杵摩崖仏が彫られたのと時期を同じくして創建され、摩崖仏を本尊とする満月寺の寺院跡とされる。
 一帯からは柱列跡、工房跡、井戸跡などの遺構や、国産を始め中国、朝鮮で焼かれた瓦・土器、鉄の精錬に使用する用品や廃棄物などの遺物が出土している。
当時作られた寺院では、敷地の中に大きな池を作り、西側に阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂を設ける形式が全国的に流行し、阿弥陀如来のいる極楽を再現したこの形式は浄土式庭園と呼ばれる。
 発掘調査から見つかった水面を池と見立てると、西側に阿弥陀堂(ホキ第二群)を配置する事になり、満月寺も浄土式庭園の形式を持った寺院と思われる。」

解説には臼杵摩崖仏群、満月寺の伽藍と室町当時の池が描かれている、公園はほゞ池だった事が分かります。
 里には民家が点在しますが、何れも中央の平坦な場所を避け、山の麓に建てられています。
上の室町時代の池の規模を見るとそれも頷ける。

蓮の咲き誇る池の対岸からこちらを見据える摩崖仏の姿は正しく極楽に見えた事だろう。

現世に戻り、公園から臼杵摩崖仏の守護寺「紫曇山 満月寺」を眺める。
 この時期はさすがに蓮も枯れ果てコスモスが咲き乱れていた。

紫曇山 満月寺本堂全景。
 山門はなく、本堂正面に一対の石の仁王像が安置されています。
満月寺は「臼杵八ヶ所霊場の第一番札所」でもあります。
 手入れの行き届いた庭園は気持ちが良いものです。

以前から野晒しだったのか、はたまた門に納められていたのかは定かではないけれど、フォルムは仁王像に見えますが、既に風化も進み細部の意匠は見て取れません。

 特に像の鼻の部分は原形すら残っていません。
なんでも、この鼻を削り飲む事で病が癒えるとされ、長い年月で削られ現在の姿になったようです。

木原石仏解説。
「凝灰岩製の仁王像は膝から下が地中に埋没しており、全体像は知り得ない。
阿形、吽形共に鼻が欠損しているのは病気回復に対する信仰によって無削られた事に依る。
 制作時期は鎌倉後期から室町時代前期に作られたものと考察される。」

本堂右手の庭園。
 奥の岩稜にも摩崖仏らしき姿と五重塔が見える。

右は県指定文化財五重塔」と左は特別史跡「観音石仏」
 五重塔は「正和4年(1315)の銘文が刻まれ、阿闍梨隆尊が先師尊全及び、自分の亡き父母のために造立、作者は日秀という阿闍梨であるとわかりました。
基礎石の4面には宝篋印塔のものに類似した袼狭間が刻まれている。」

観音石仏。
「地元に伝わる真名野長者伝説では、真名野長者夫妻が亡き娘の菩提を弔うため、蓮城法師に依頼し臼杵摩崖仏を彫らせたとされますが、伝説と摩崖仏造立年代が異なっているため、この像も真名野長者夫妻像、蓮城法師像と伝わるが、実際は満月寺の僧侶増ではないかと推測される」

 右の二体が真名野長者夫妻像と伝わり、左の一体が蓮城法師像。

境内にあった「満月寺の遺構と石造物」解説。
「現在の満月寺(昭和25年創建)の西側、南側に接する場所の発掘調査で新旧二時期の礎石跡が見つかりました。
 東西約11㍍、南北約11㍍の鎌倉時代初めの礎石と、それに重なる室町時代の礎石建物の跡。
江戸時代に書かれた「寺社考畧畧」、そこに「本坊釈迦堂は、7間(約12.6㍍)4面で礎石は二重になっている」と記されている事から、満月寺が廃寺となる江戸時代初めまで「釈迦堂」として残されていた。
 摩崖仏群から見て東に位置するこの建物は、中世の満月寺を構成する伽藍の中でも重要な施設と思われる。
建物跡の南側には「木原石仏」と呼ばれる一対の「仁王像」が建立されています。
 その周囲には宝篋印塔(日吉塔)や観音石仏、五重塔などの石造物が建てられています。」

本堂。
 軒丸瓦や鬼瓦には左三つ巴の紋が入る。
軒下には縁起がいいとされるツバメの巣がいくつも掛けられていた、深田の里はツバメ達にとっても極楽のようだ。

満月(がつ)寺本尊は釈迦如来
 創建は不明、解説によると現在の満月寺の創建は1950年(昭和25)の様です。

本堂左から奥に進むと右手に鐘楼。
 手前に解説板らしき木札が立っていたが破損がひどく内容は読み取れなかった。
賽銭を供えれば自由に鐘を突く事が出来ます。
 更に奥に進みす。

特別史跡臼杵摩崖仏「日吉塔」

解説から抜粋。
・宝篋印塔としては日本最大の高さを誇る。
 ・臼杵摩崖仏を本尊とする中世寺院満月寺の守護社で古園石仏の上に鎮座する日吉社からこの名が来ている。
・13世紀後半に製作された4.44㍍の石塔は、満月寺整備の一環で経典を納め寺の鎮護のため建てられたと思われ、建立以来この位置から動かされていないという。

宝篋印塔を先に進むと突き当りに石仏が祀られている。
 顔の一部は欠け落ち、中央の像は一度は二つに割れてしまったようです。
手前の二体は1727年(享保12)に作られたもの。

 この先の公園が往古には大きな池だったとは、解説で知らされるまでは想像すらできなかった。
現世と極楽の狭間にあった池がいつ埋められた?、それは少し気にはなる。

摩崖仏に見守られ、陽光が燦燦と降り注ぐ深田の里は、温もりを感じる特別な空間です。
 風もなく温かい陽射しの下では猫も…伸びる。
深田の里、日常を忘れるには良い場所だ。

紫曇山 満月(ガツ)寺
宗派 / 高野山真言宗
創建 / 現在の満月寺 (昭和25年)
本尊 / 釈迦如来
所在地 / ​大分県臼杵市深田963
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