第六回歩いて巡拝 知多四国 十五番札所 龍渓山 洞雲院。
洞雲院は家康の生母、於大の方の廟や久松家一族の墓がある寺院として知られる古刹になります。

前回掲載した興昌寺の八丁石から、次の目的地十五番札所洞雲院へは福山川を下り、福住新橋交差点で左折し、ふれあいの森交差点を右折し、名鉄河和線坂部駅の横を通過、県道55号線で左折すれば右側に石柱門が見えてきます。
約1.7km、徒歩25分程の道のりです。

県道55号線で左折、70㍍ほど進むと写真の龍渓山 洞雲院の石柱門が現れます。

石柱門から50㍍ほど進むと、右側に写真の地蔵堂が建っています。

季節の花が供えられ、堂内には一体の地蔵が祀られています。

堂前には「1町」の石標。
洞雲院へは、堂前の辻を真っすぐ向かい、1町ほど先の右側に山門が現れます。

十五番札所 龍渓山 洞雲院門前全景。
とても広い駐車場があり、車で訪れても駐車場に困る事はないでしょう。

右に「知多新四国第十五番、尾張三十三観音第六番、徳川家康公生母於大の方菩提所」と刻まれた石碑。
左に「不許葷酒入山門」の石標と解説板が立てられています。

「寺伝によれば、平安時代、天暦2年(948)に菅原道真公の孫である菅原雅規が開基となり、天台宗の久松寺(洞雲院の前身)を創建したと言われる。
雅規は幼名を久松磨と言い、後に英比丸と英比(あぐい)殿とも称された。
英比殿は天性朴質、極めて聡明、仁恵に厚く善政を敷いた。
没後、いつの頃からか人々はその徳を追慕し、英比殿夫妻の木像を彫刻し、厨子に奉安して英比荘の民家1戸1日の割で廻送迎送し、供養を怠らなかった。
世に「廻り地頭信仰」と言われた。
この民俗信仰は明治維新とともに途絶え、現在、木像と扇子は、当山霊廟に安置され、学問上達信仰として祭られている。
室町時代、明応3年(1494)雅規の後裔、久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建し、七堂伽藍と四つの塔頭を整備した。
開山には加木屋普済寺在室岱存大和尚を迎えた。
天文16年(1547)久松俊勝のもとに徳川家康の生母於大の方が再嫁された。
阿久比在城15年間に三男四女の計7人の子女を出生。
俊勝の子は松平姓に改められ、後に桑名城主、松山城主をはじめ多くの大名、旗本として世に出した。
当山の境内墓地には、英比殿をはじめ於大の方等13基の墓がある。
また、例年3月16日には於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音講法会、通称「おせんぼ」が行われる。」とある。
【阿久比町誌 資料編】に目を通す。
「洞雲院は曹洞宗に属し、東海市加木屋の普済寺の末寺である。
「張州雑志」(1788)によれば、 龍渓山洞雲院は曹洞宗に属し、同じ郡の加木屋村にある普済寺の末寺である。
本尊は如意輪観音で、仏師・定朝の作とされている。
【寺記】には「本尊如意輪観音は定朝法師の作であり、宇治の平等院宝蔵から出たものである」と記されている。
願主は尾張国の小林氏で、徳寿山清浄寺を建立した人物である。
開基は恢蓮社曠誉廓龍即徃和尚であり、短期間のうちに大仏工を招いて仏像を再興し、金容を整えた。
宝永3年(1706)3月8日当院に寄進された。
開山は在室泰存和尚であるが、年月は不詳。
当寺は久松肥前守・定益によって創建されたと伝えられている。 そのため、久松氏の歴代の位牌や家譜一巻が寺に所蔵されている」
雅規公は童名を久松磨といい祖父道真が罪科によって九州に配され、久松磨も尾州知多郡野間に寓居、のち英比坂部郷に居住し、俗に英比殿と称された。
延長二年(924)菅原道真公の罪科が解かれ、その子弟は帰洛しても、英比殿はひとり郷に留まり、其所領をこの地英比荘を里とされ、晩年は白沢郷北原に住居された。
創建当時は、久松寺と号する天台宗であったが、明応二癸丑年(1493)に英比殿の後裔、久松肥前守定益が禅透和尚を開山に迎え、久松寺を改め龍溪山久松寺洞雲院となり曹洞宗の寺院として再建した。
久松家歴代の菩提寺であり、家康の生母於大の方の墓や久松・松平家の墓地があり、四国の松山等から縁の久松・松平家の人々が参詣する。 」と記されていた。

切妻瓦葺で入口側に軒唐破風の付く威厳のある趣の四脚門です。

山号額は龍渓山。
山門の木鼻や梁に獏や龍の彫飾りが施されています。

上が洞雲院の伽藍配置。

山門をくぐって境内左の手水舎、大日堂、太子堂の眺め。

手水鉢の子安地蔵。

入母屋瓦葺の木造の本堂には大きな向拝が付く。
今回は訪れていませんが、本堂後方に「史跡 久松・松平家僧葬地」があり、坂部城を築城した坂部定益や於大の方の遺髪を納めたとされる伝通院殿の廟があります。

向拝梁には金色の宝珠を持った龍の姿がある。

本堂に掲げられる額には「大悲殿」とあり、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表しています。

長 一尺七寸(51.5cm) 、作者 定朝法師作、宝永三丙戌年(1706)、徳寿山清浄寺と同じ作とされます。
如意輪観音は、仏教における「六観音」の一尊であり、特に知恵・福徳・救済の象徴とされ崇められます。
ここに出てくる徳寿山清浄寺、調べてみたが良く分からなかった。

右の唐破風向拝を持つ建物が太子堂で左が大日堂。

太子堂内。
中央の厨子に大師像を祀り、両脇に複数の大師像が祀られています。
ひょっとすると88の札所と開山所、番外含めた98体あるのかもしれない。

大日堂。
内部は窺えなかったが、額からして大日如来を祀るのだろう。

山門から坂部集落の眺め。
次の17番札所までは南に2.5km前後、約40分ほどの道のりです。

くろくもの をのえ さかべをはなるるとき こころはるをば にょいりんのとく
