愛知県 知多四国巡礼 第6回:天満社

阿久比神社から南に向かい、20分ほどかけて円山公園の西側を通過し、保育園の横を過ぎると正面に交差点が現れます、ここを直進し緩やかな上り坂の先を目指します。

坂を上りきった阿久比町矢高平地の辻で見かけた拾七番札所の石標。

そのすぐ後ろの二丁石。
 この辻から石標の通りに右に進むのが本来のルートなのでしょうが、真っすぐ進めば100メートルほどで観音寺に至ります。

直進すると左に観音寺の方形屋根が見えてきます。
 ここで右を良く見ると、神社の姿があります。
細い参道を上ると、右に小さな鳥居を構えた二つの社が祀られています。

祀られているのは多賀社と本宮社です。

上は阿久比町史の天満社の配置で、図中の7番が多賀社と本宮社の位置になります。

拝殿南側の眺め。
 拝殿正面のこの建物は籠殿と呼ばれ、その右側に鳥居(1906)と、文化3年(1806)に寄進された常夜灯があり、そこから下に参道が伸びています。

境内南側に聳える楠の大木が大きな木陰を落としています。

拝殿左側から多賀社・本宮社と樹形が美しい桜の眺め。

天満社社殿全景。
 左に解説板と道真と深いかかわりのある神使の臥牛が安置されています。
台座には、道真が好んだ梅があしらわれています。

阿久比町教育委員会による天満社解説。
『天満社
 天満社の祭神は、文人・学者であった菅原道真である。
社伝の記録として保存されている弘安3年(1280)の「村社天満社御由緒調査書」によると、創建は天暦2年(948)菅原道真公の孫である英比磨は、ここ高尾山の自然と眺望を愛され、亡き祖父の道真公を英比家の守護神として、この地に神殿を造営した。
 高尾村の高尾天神と呼ばれたともある。
その後、京都の北野天満天神からの分霊を迎え、天満社と称されるようになった。
 北野天満天神とは、延喜3年(903)道真が配所の大宰府で没した後、京都の異変災害は道真公の祟りと恐れられた。
このため、貴族も民衆も怨霊を鎮めんとして、天暦元年(947)に建てられた神社である。
 現在、天満社の境内社として、本殿右に金比羅社、左に大山祇社が祀ってある。
境内の獅子館は町指定文化財である。
 入母屋造りで切破風を持ち、彫刻は金箔仕上げである。』

阿久比を歩いていると、町内の至る所でこうした解説文に出会う。
 初めて訪れた人にとっては、単に創建年や祭神の名を並べただけの案内よりも、土地の風土や民俗的背景に触れる記述があることで、その場所の意味をより深く感じ取ることができる。
 天満社や観音寺が鎮座するこの高台は、高尾山というようですね、境内南側からの眺望はなかなかのものでした。

小高い高みに祀られた多賀社と本宮社の左手から、天満社の本殿域が良く見通せます。
 本殿は流造で、写真では分かりにくいですが、向拝柱を支える海老虹梁に施された意匠はなかなかのものです。
手前の見世棚造の社は大山祇社が祀られています。

こちらは本殿左の金比羅社。

拝殿右から観音堂境内に続く石段が設けられています。
 参拝者が木陰を求め一息つく姿が見られます。

境内南側の鳥居から社殿の眺め。
 ここから南の斜面に参道が続き、観音寺境内に続く上りの石段が続きます。
観音寺へは拝殿右側の石段を下れば本堂の前に繋がっているので、下りない方がよいでしょう。

境内から南側の眺め。
 英比磨も眺めたであろう三ノ山高の岡から眼下を流れる前田川と高岡集落方向の眺め。

では、拝殿横から17番札所観音寺に下りていこう。

愛知県 知多四国巡礼 第6回:天満社
創建 / 天暦2年(948)
祭神 / 菅原道真、應神天皇
境内社 / 多賀社、本宮社、大山祇社、金比羅
氏子域 / 阿久比町矢高
祭礼 / 3月30日
所在地 / 知多郡阿久比町矢高三ノ山高16
阿久比神社から天満社 / ​​​​​​​阿久比神社から南へ1.2km、約20分ほど​​​​​
参拝日 / 2025/6/21
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