石野町上谷下 「八柱神社」

前回掲載した西広瀬町の農村舞台のある八劒神社、そこから矢作川を下り、両枝橋を渡って突き当りで右折し、県道355号線で石野町地区に鎮座する八柱神社に向かいます。

鎮座地は、枝下駅跡の矢作川対岸にあたる石野地区で、見上げる高さに築かれた枝下大橋が町中のどこからでも視界に入ります。
今では両枝橋や枝下大橋があり容易に対岸へ渡ることができますが、かつては名古屋城下と足助を経由し、伊那谷を結ぶ飯田街道(中馬街道・塩の道)で、唯一、石野と対岸の枝下を渡船で結ばれていたところ。
昭和27年まで現役だった渡しの跡は、両枝橋の少し下流に今も残されています。

上は枝下駅跡の観光マップ、そこにも「枝下の渡船場」が示されています。
場所は両枝橋の下流50㍍ほどの位置になりますが、車を停める場所がなく今回は断念しました。

県道から石野地内で左折し、八柱神社社頭から枝下大橋の眺め。
その昔、矢作川を越えた人や馬は、石野集落を抜け、力石峠を越え、現在の国道153号線に抜けていた。
矢作川の水量によって川止めもあっただろうから、石野地区には宿場もあったことでしょう。

八柱神社の杜。
鎮座地は東側の山裾に位置し、社頭は山の入口に鳥居を構え、右手に「村社 八柱神社」の社号標が建てられています。

社頭から鳥居と杜に続く石段の眺め。

扁額は「八柱神社」。

石段の左に平成14年に建てられた「石野町お囃子保存会結成20年記念」の石碑があります。

石碑から先の境内、社殿は随分奥まった場所に鎮座するようです

石段を上りきると狛犬が守護する広い境内が現れ、その奥の一段高い場所に社殿が建てられています。

子持ち、玉持の均整の取れた狛犬です。

社殿全景。
石段の左に手水鉢が置かれていましたが、清水は張られていなかった。

境内には由緒がなく、愛知県神社名鑑(1992) から調べてみました。
『十二等級 八柱神社 旧指定村社
鎮座地 豊田市石野町上谷下60番地
祭神
由緒
創建は明らかでないが、明治6年8月15日村社に列格する。
同44年10月字築下447番無格社八幡社を本社に合祀した。
昭和20年11月3日、供進指定社になる。
例祭日 十月十八日
社殿本殿 神明造1.55坪、幣殿5坪、拝殿6坪、社務所4坪、神饌所2坪
特殊神事 天王祭 10月大祭に山車を引き笛、太鼓のおはやしで郷中より神社神前に奉納する。
境内坪数 30坪
氏子数 52戸』とあった。

取り纏められた当時と、現在の社殿は多少違いがあるかもしれません。
本殿、幣殿、拝殿、社務所、神饌所とありますが、現地では幣殿、神饌所らしき建物は見られなかった。

石段の先の拝殿の眺め。

社殿全景。
主な建物は拝殿と大きな覆屋の下の本殿、境内左側の社務所が主となります。
本殿の左右に境内社6社が祀られています。

拝殿から本殿と境内社の眺め。

拝殿内には明治天皇のお言葉「教育勅語」が掲げられていました。
 明治神宮が口語文約した内容は以下のような内容です。

『国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。
 そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。
 兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。
縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。
学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。
 また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。
どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。
 誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。
さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。
 ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。
もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
 いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。
 かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。
この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。
 そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
明治23年10月30日』
解釈によって賛否も分かれ、戦後廃止された教育勅語ですが、個人的に道徳の視線で今の世の中を見渡すと再評価されてもいい個所もあるのではないかと思う。

本殿は杮葺きの流造のように見えます。
祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命天穂日命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命市杵島姫命、多紀理比売命、多紀津比売命、品陀和気命息長帯比売命帯中津日子命

本殿左の境内社三社。

左から金刀比羅社、白山社、秋葉社

本殿右側の境内社

左から、八幡社、神明社、蚕霊社が祀られています。

石野町を見下ろす山腹に作られた境内は、薄暗い印象を受けます。
しかし夕方ともなると程よく間引かれた樹々の間から、強烈な西陽が差し込み境内を照らします。

石野町 八柱神社
創建 / 不明
祭神 / 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命天穂日命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命市杵島姫命、多紀理比売命、多紀津比売命、品陀和気命息長帯比売命帯中津日子命
境内社 / 金刀比羅社、白山社、秋葉社、八幡社、神明社、蚕霊社
氏子域 / 石野町
例祭日 / 十月十八日
所在地 / ​​豊田市石野町上谷下60
廣瀬神社から八劒神社 / 八劒神社から広梅橋を越え、西広瀬町交差点を右折し​、​400㍍ほど直進した左側​。
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