丹羽郡大口町豊田、小牧山から北西4kmに位置し、西に五条川、東は矢戸川と二つの河川に挟まれた扇状地で、町内は概ね平坦な土地が広がっています。
前回の薬師堂から車だと、東に向かい石仏駅北信号で左折、県道157号線を北上し小折交差点を右折、三ツ渕原新田交差点で左折直進、豊田三丁目交差点の200㍍先で左折すると神福神社の杜が見えてきます。
ここまでの移動時間は10分もかからないだろう。
神福神社社頭全景。
社頭の左に地蔵祠、右に小さな社が祀られており、その間を参道が北に伸びています。
参道の右に神福神社社標が立てられ、その先が一ノ鳥居になります。
一ノ鳥居は昭和13年に寄進されたもの。
参道の先は公道が横切り、写真のニノ鳥居と社殿が見えてくる。
鳥居の先から境内の眺め。
社地全体が周囲の公道より若干高くなっており、社殿の左右の杜の部分がやや高くなっている。
神福神社は社地全体が古墳時代後期の神福神社古墳の上に鎮座しています。
残念ながら社殿造営時に大きく整地されているようで、古墳の面影を感じられるのは左右の杜ぐらいだろうか。
境内左の手水舎。
龍口の髭や角、鱗の意匠は立派なもの。
木造瓦葺入母屋造りの妻入りで四方が吹き抜けの拝殿、鬼板には桐の紋が入れられています。
境内に由緒書きは見られなかったが、愛知県神社名鑑(1992)は神福神社について以下のように紹介している。
『十五等級 神福神社 旧村社
鎮座地 丹羽郡大口町大字豊田字福田65番地
祭神 倉稲魂神、天照大御神、須佐之男命、大年神、猿田彦命、大宮比売命
由緒 創建については明らかでないが、慶安5年(1652)3月社殿を再建した。
神明社は元禄元年(1688)社殿を再建する。
明治5年7月両社とも村社に列格した。
昔は大福田社と称した、大正6年4月8日福田26番地鎮座の村社神明社(祭神 天照大御神)を合祀し、神福神社と改称した。
同時に大福田社の境内社御鍛社(保食神 大年神)、稲荷社(猿田彦命 大宮比売命)を本社へ合祀する。
昭和42年7月3日、神社本庁包括設定なる。
例祭日 10月20日
社殿 本殿神明造、幣殿、拝殿、氏子数 45戸』
拝殿から幣殿の眺め。
拝殿からニノ鳥居方向の眺め。
拝殿先は一段と高く石垣が積まれ、その上の幣殿の両脇から塀が本殿域全周を囲っています。
幣殿は切妻造の平入り、手前に一対の狛犬が安置されています。
幣殿前の狛犬。
幣殿から本殿の眺め、棟持柱のシルエットが見えています。
この本殿に祀られる祭神は倉稲魂神、天照大御神、須佐之男命、大年神、猿田彦命、大宮比売命の六柱を祀る。
社殿全景。
社地は社殿後方の豊田小折田新田児童遊園と隔てるものなく地続きになっています。
全国文化財総覧によれば、古墳は全長54mの前方後円墳で、後円部の直径は30m、前方部の幅は30m、長さは24mで、横穴式の石室があったと推測されます。
本殿建物が建っている位置は、古墳のくびれ部にあたるそうです。
神福神社古墳の近隣にはいわき塚古墳や白亀塚古墳、白木古墳といった古墳時代後期の古墳が点在しており、古来から人の暮らしが営まれていた場所です。
神福神社の創建は不明ですが、慶安5年(1652)に再建されていることから、はじまりはかなり古いのかもしれません。
盗掘口もあったとされるこの古墳、創建の時、ここが土地の有力者を埋葬した場所であったことを知っていたのだろうか。
外観が変貌した今、解説がある訳でもないので、ここが古墳と感じる人は少ないと思います。
神社を回り歩いていると、意外に古墳の上に鎮座する神社が多いことに気付きます。
拝殿からニノ鳥居、一ノ鳥居の眺め。
最後に神福神社に参拝者駐車場や最寄りにコインパーキングはありません。
周辺の道路は幅員が狭く駐車余地もありません。
参道の車止めが公道より奥に立てられており、参道内に車を横付けさせてもらいました。
炎天下の神社巡りも今回の神福神社で終わりとなります。
車で移動すると万歩計の歩数が伸びません。早く秋めいて欲しいものです。
氏子域 / 大口町豊田
例祭日 / 10月第2日曜日
所在地 / 丹羽郡大口町豊田2-131
長安寺薬師堂から大口町神福神社まで・車ルート / 東に向かい石仏駅北信号で左折、県道157号線を北上し小折交差点を右折、三ツ渕原新田交差点左折直進、豊田三丁目交差点の200㍍先で左折。移動時間7分。
参拝日 2025/8/21
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